ぼくはお金を使わずに生きることにした マーク・ボイル著

 


 著者マーク・ボイルは、1979年アイルランド生まれ。2008年11月末から1年間、イギリスのブリストル郊外でお金を使わずに生活した。その記録がこの本だ。


 マーク・ボイルは、アイルランドの大学で経済学と経営学を学び、卒業したら手っ取り早くお金を稼ごうと人並みに思っていたという。だが、マハトマ・ガンディーの言葉「世界を変えたければ、自分がその変化になれ」を知って、せめて倫理的な仕事をしようと、イギリスで有機食品業界で6年ほど働いた。


 だが有機食品業界といえども、問題はある。企業である以上、効率や利益優先で、食品廃棄、過剰包装の問題もある。そこで彼は、問題は「お金」だとの考えに至る。お金は、最初は物々交換をやりやすくするためのツールであった。ところが人々はいまや、お金の奴隷になってしまった。著者はクリスマスセールを例に挙げているが、これは説得力がある。クリスマスセールが始まると、買物客が殺到して混乱の中で圧死する人さえ出る。人間はわずかな額のお金のために、人を踏み殺すようにまでなってしまっているのだ。


 マーク・ボイルは、お金なしで1年間生活するために、半年かけて準備をする。住居、電気・水道・ガス、食料、交通、通信、その他。彼の準備過程を知るだけでも、私たちの生活がいかにお金でがんじがらめにされているかが分かる。かいつまんで言えば、彼は不要になったトレーラーハウスを無償で譲り受け、それを置かせてもらうかわりに農場で働くことにした。週3日1日9時間の労働だ。電気や水道もオフグリッドにして、送電網や水道管から断ち切られた生活をすることになる。ということは、ソーラー発電した分しか電気は使えないし、トイレさえも自分で排泄物処理まで完結させなければならない。


 交通手段は、自転車・徒歩・ヒッチハイク。食料は不要となったものをもらい受けたり、農場で労働の代価として分けてもらったり。とにかく、お金を使わないことをとことん徹底させることで、彼にはいままでと全く違った世界が見えてくる。お金を使わないことで人間関係まで変わってくるのだ。それを象徴しているのが、彼がお金なしの生活の終わりにやったパーティーだ。来場者は3500人、1000人においしい料理を提供し、上映会やバンド演奏までやっている。すべて無料で、大勢の協力者も全員がボランティアだ。料理の材料は、廃棄されるはずだったものや寄付されたものでまかなった。腕のいい料理人が参加してくれたことで、すばらしい料理が仕上がった。人々はパーティーのための非常にハードな仕事にも、文句ひとつ言わず終始笑顔だった。お金が介在しないもののやり取りや人とのつきあいには、深い満足感があったという。


 この1年の実験生活ののち、マーク・ボイルは新たな一歩を踏み出しているという。この本の印税をつぎ込んで、お金を使わないフリーエコノミー生活の拠点づくりを始めたらしい。そのコミュニティーのメンバーは3年後には3万5千人を超えたという。マーク・ボイルの強みは、理想を追求しながらも現実感覚を失わず、ユーモアもたっぷり持ち合わせていることだ。それに彼は、太陽光発電の電気で動く中古のパソコンでインターネットを活用し、マスコミにも積極的に登場して情報を発信している。この時代ならばこその方法だ。その後の彼の動きも追ってみたいと思う。


 この本を読み終えて、正月だからと久しぶりにロンドンにいる友人に電話をしてみた。彼はロンドンの片すみの狭い土地で、有機農法で野菜をつくり、服はほとんど手作りに近いという、個性的な生き方をしている。将来はベナンでパーマカルチャーをやるのが夢というから、マーク・ボイルを知っているかもしれないと思い、訊いてみた。友人の反応は冷淡だった。「金持ちの遊びさ。砂漠で飢えている人々にいちばん必要なものは何か。彼は分かっているのだろうか」とにべもなかった。


 たしかに信州の小さい町で暮らしている私にも、マーク・ボイルのやったことは都会の近郊だからこそできたこと、と思える箇所が多々ある。つまり金をつぎ込まれた都会生活のおこぼれに預かっている面が大きいことは確かだ。けれどもそんなことを言い出したらきりがない。この本を読んでみて、私がしきりに考えるのは、では私になにができるか、ということだ。私も含め、お金お金の生活や社会に辟易している人は多いだろう。そのそれぞれが、自分のやり方でそれを変える一歩を具体的に踏み出したら、それはもしかしたら大きなうねりになるのではないか。