「じゃあ、空を飛んでいるわけだ」
映画を見に行った。「済州島四・三事件ハラン」(ハ・ミョンミ監督/脚本)だ。四・三事件をそれほど詳しく知っているわけではないが、この作品は見たいと思っていた。ハン・ガンの『別れを告げない』を読んだせいかもしれない。これを読んだときは四・三事件のことはほとんど知らなかった。だが主人公の友人の高齢の母親がこの事件を辛くも生き延びた人で、その体験がうっすらと何十年ものちの娘の生き方にまで浸みわたっているのが私の心に沁みた。長編を、こんなに勢い込んで読み進めたのは近年にないことだった。
それで、映画「済州島四・三事件ハラン」もタイトル以外はほとんど知らないまま見に行ったのだが、これもまた異空間に没入させてくれる見事な作品だった。
四・三事件では、7年にもわたり国家権力によって3万人もの島民が虐殺されていったという。この映画では、家族を次々に殺された海女の母親と6歳の娘が、村から山へ、山から海へと逃げまどうありさまが描かれている。それでいながら、国家暴力の残忍さ、家族や村人たちの思いがうまく語られている。風景は美しく、人々は日々を懸命に生きていて、終始息を抜けない緊張感がみなぎる秀作だ。画面に惹きつけられつつ私の胸中を頻りに去来したのは、自分の過去の断片だった。これほどの厳しい状況に立たされたことはないが、それでも共感するシーンが随所にあったのだと、観終わってから思った。ハン・ガンの小説も、この映画も、苛酷な歴史を自分たちの物語に仕立て上げていて、韓国の文化の底力を感じさせる。
映画の感動に浸ったまま昼食をすませてモトさんの見舞いに向かう。今日の様子次第では、モトさんにどんな薬が処方されているのかを詳しく問いただしたい、と思っていた。
今日はなぜかスタッフが少ない。病棟全体が閑散としている。ナースステーションにいるスタッフに挨拶しても、忙しいのか返事もしてくれない。気晴らしに面会室に行き景色を眺めながらお茶でも飲もうと、モトさんをベッドから立たせていると、若い看護師に叱られてしまった。
「歩かせて転んだらどうする!車椅子で行ってください」という。
「昨日は歩いて行ったんです」と私は言ったが、看護師は頑として車椅子に乗せろという態度だ。
車椅子を押して面会室に向かう。すると廊下の向うから看護師がにこやかに
「〇〇さん」とモトさんに声をかけてくれた。
その看護師はモトさんに自分の名札を見せながら、集中病棟で担当だった看護師だと名乗った。だがモトさんは、
「覚えていないなあ、すみません」と苦笑いした。
この苦笑いは、私にだけ見せる表情かもしれない。モトさんの複雑な心情が読み取れる。モトさんはたびたび、自分はどこも悪くないと自己主張する。認知症だから分からないだろうと決めつけて接する人には、それが「怒り」と映る。だが私には、モトさんの自己主張の裏にある自己認識が読み取れる。次第に忘れることや出来ないことが増えている自覚は、モトさんにはきちんとあるのだ。
明るい声でモトさんの名前を呼んでくれた看護師がいること、モトさんがいつも通りの反応をしたことで、私はホッとした。それでその看護師に訊いてみた。
「投薬中の薬について訊きたいのだが、誰に訊くのが適切なのでしょう?」と。
「この病棟の看護師ならカルテを見られるから、誰でも答えてくれますよ」とその看護師はあっさりと答えた。
そううまくはいかないのだが、と思いつつ、彼女に礼を言って別れた。
モトさんもにこやかに声をかけてもらっただけで、気分がほぐれたらしい。
窓から景色を眺めて、モトさんはいつも同じことを訊く。
「あの、まっすぐ前に見える屋敷の庭みたいなのは、どこだろう?」
「その右の奥の方の、こんもりした木立は何だろう?」
「その向こうの、赤と白のだんだらの高い棒は何だろう?」
それにいちいち同じ答えを、私はする。
お茶を飲んでいるとモトさんがふと、
「で、キミがいまどこにいるの?」と訊いた。
「病院にいるんじゃない」と私。
「そうじゃなくて、ここにいない時はどこにいるの?」
「家にいるのよ」
「どこの家?」
そう言われれば、私はいくつも引っ越しをしたなあ。モトさんが知っている住処だけでも五つぐらいになるだろうか。だからどこに住んでいるのかと、混乱するのかな。
それで悪戯心を起こして私は、「台南の家」ととっさに応えた。
生まれ故郷の生まれた家を、私は幸運にも40年も経ってからみつけだした。それから数年後にモトさんにその家を見せに連れて行ったことがある。頑丈なレンガ塀で囲まれて熱帯の樹木が生い茂っているその家は、中国風に真っ赤に塗られた門が固く閉ざされていた。私はレンガ塀をよじ登って中を覗こうとした。同行してくれた台南在住の友人は、私を手助けしようとしたが、モトさんには登れるはずないとたしなめられた。
いま医療センターの面会室で「台南の家」と答えた私にモトさんは、
「ああ、そりゃあいい」と朗らかな笑顔を見せた。「じゃあキミは、空を飛んでここと家を行き来してるわけだな」とにこにこしている。
あれ、冗談が通じた。うまく返してきたじゃないか。これぞ元のモトさんだ。そう私は心の中で思う。認知症って不思議だ。一昨日は心配になるほど無反応だったのだが、これで回復に向かってくれるだろうか。