老老対話 その7   「じゃあ、空を飛んでいるわけだ」

 

「じゃあ、空を飛んでいるわけだ」

 

 映画を見に行った。「済州島四・三事件ハラン」(ハ・ミョンミ監督/脚本)だ。四・三事件をそれほど詳しく知っているわけではないが、この作品は見たいと思っていた。ハン・ガンの『別れを告げない』を読んだせいかもしれない。これを読んだときは四・三事件のことはほとんど知らなかった。だが主人公の友人の高齢の母親がこの事件を辛くも生き延びた人で、その体験がうっすらと何十年ものちの娘の生き方にまで浸みわたっているのが私の心に沁みた。長編を、こんなに勢い込んで読み進めたのは近年にないことだった。

 

 それで、映画「済州島四・三事件ハラン」もタイトル以外はほとんど知らないまま見に行ったのだが、これもまた異空間に没入させてくれる見事な作品だった。

 四・三事件では、7年にもわたり国家権力によって3万人もの島民が虐殺されていったという。この映画では、家族を次々に殺された海女の母親と6歳の娘が、村から山へ、山から海へと逃げまどうありさまが描かれている。それでいながら、国家暴力の残忍さ、家族や村人たちの思いがうまく語られている。風景は美しく、人々は日々を懸命に生きていて、終始息を抜けない緊張感がみなぎる秀作だ。画面に惹きつけられつつ私の胸中を頻りに去来したのは、自分の過去の断片だった。これほどの厳しい状況に立たされたことはないが、それでも共感するシーンが随所にあったのだと、観終わってから思った。ハン・ガンの小説も、この映画も、苛酷な歴史を自分たちの物語に仕立て上げていて、韓国の文化の底力を感じさせる。

 

 映画の感動に浸ったまま昼食をすませてモトさんの見舞いに向かう。今日の様子次第では、モトさんにどんな薬が処方されているのかを詳しく問いただしたい、と思っていた。
 今日はなぜかスタッフが少ない。病棟全体が閑散としている。ナースステーションにいるスタッフに挨拶しても、忙しいのか返事もしてくれない。気晴らしに面会室に行き景色を眺めながらお茶でも飲もうと、モトさんをベッドから立たせていると、若い看護師に叱られてしまった。
「歩かせて転んだらどうする!車椅子で行ってください」という。
「昨日は歩いて行ったんです」と私は言ったが、看護師は頑として車椅子に乗せろという態度だ。

 

 車椅子を押して面会室に向かう。すると廊下の向うから看護師がにこやかに
「〇〇さん」とモトさんに声をかけてくれた。
 その看護師はモトさんに自分の名札を見せながら、集中病棟で担当だった看護師だと名乗った。だがモトさんは、
「覚えていないなあ、すみません」と苦笑いした。
 この苦笑いは、私にだけ見せる表情かもしれない。モトさんの複雑な心情が読み取れる。モトさんはたびたび、自分はどこも悪くないと自己主張する。認知症だから分からないだろうと決めつけて接する人には、それが「怒り」と映る。だが私には、モトさんの自己主張の裏にある自己認識が読み取れる。次第に忘れることや出来ないことが増えている自覚は、モトさんにはきちんとあるのだ。

 

 明るい声でモトさんの名前を呼んでくれた看護師がいること、モトさんがいつも通りの反応をしたことで、私はホッとした。それでその看護師に訊いてみた。
「投薬中の薬について訊きたいのだが、誰に訊くのが適切なのでしょう?」と。
「この病棟の看護師ならカルテを見られるから、誰でも答えてくれますよ」とその看護師はあっさりと答えた。
 そううまくはいかないのだが、と思いつつ、彼女に礼を言って別れた。

 

 モトさんもにこやかに声をかけてもらっただけで、気分がほぐれたらしい。
 窓から景色を眺めて、モトさんはいつも同じことを訊く。
「あの、まっすぐ前に見える屋敷の庭みたいなのは、どこだろう?」
「その右の奥の方の、こんもりした木立は何だろう?」
「その向こうの、赤と白のだんだらの高い棒は何だろう?」
 それにいちいち同じ答えを、私はする。

 

 お茶を飲んでいるとモトさんがふと、
「で、キミがいまどこにいるの?」と訊いた。
「病院にいるんじゃない」と私。
「そうじゃなくて、ここにいない時はどこにいるの?」
「家にいるのよ」
「どこの家?」

 

 そう言われれば、私はいくつも引っ越しをしたなあ。モトさんが知っている住処だけでも五つぐらいになるだろうか。だからどこに住んでいるのかと、混乱するのかな。
 それで悪戯心を起こして私は、「台南の家」ととっさに応えた。
 生まれ故郷の生まれた家を、私は幸運にも40年も経ってからみつけだした。それから数年後にモトさんにその家を見せに連れて行ったことがある。頑丈なレンガ塀で囲まれて熱帯の樹木が生い茂っているその家は、中国風に真っ赤に塗られた門が固く閉ざされていた。私はレンガ塀をよじ登って中を覗こうとした。同行してくれた台南在住の友人は、私を手助けしようとしたが、モトさんには登れるはずないとたしなめられた。

 

 いま医療センターの面会室で「台南の家」と答えた私にモトさんは、
「ああ、そりゃあいい」と朗らかな笑顔を見せた。「じゃあキミは、空を飛んでここと家を行き来してるわけだな」とにこにこしている。
 あれ、冗談が通じた。うまく返してきたじゃないか。これぞ元のモトさんだ。そう私は心の中で思う。認知症って不思議だ。一昨日は心配になるほど無反応だったのだが、これで回復に向かってくれるだろうか。

 

 

 

老老対話 その6   「生まれた家に何歳まで住んだか? 分からないな」


「生まれた家に何歳まで住んだか? 分からないな」

 

 モトさんは入院してすぐに集中治療室に入った。医者の説明では2,3日後には一般病棟に移るだろうとのことだった。ところがその日を過ぎても何の説明もない。6日目ごろに看護師に尋ねてみると、
「入院から1週間たつとMRI検査をするので、その結果で決めることになります」とのことだった。

 

 ところが11日目になっても、まだモトさんは集中治療室にいる。そこで思い切って看護師長に尋ねてみることにした。こういうとき患者側はとても気を遣う。なるべく柔らかい口調でモトさんの病状はどんなふうか訊いてみた。看護師長は脳梗塞で一度壊れた細胞は治るものではない、というような話を始めた。そんなことよりモトさんの病状を知りたいのだ。それで質問を変えて「入院から1週間後にMRIを撮るとお聞きしたのですが、その結果はどうだったのでしょう」と訊いてみた。看護師長は「ええと、その画像はですねえ」とか言いながら、何やら操作しているふうだ。

 

 返事を待っていると、看護師長は突然「今日11時に一般病棟に移ります。面会時間は2時から5時までに変更になりますから、ご注意ください」と言う。「移るのが遅くなったのは空きがなかったからですが」と説明し、さらに「モトさんが急に怒ったり点滴の管を抜いたりしたのも移るのが遅れた理由だ」と付け加え、「譫妄なのか認知症のせいなのか分かりませんが、安定する薬が出ておりますので」と説明した。私にしてみれば、そういう情報こそ一番に伝えて欲しいのだが。

 

 その日のうちに、一般病棟に移ったモトさんを見に行った。5階の4人部屋だ。幸い窓際のベッドで、窓からは周囲の山々が見渡せる。
 だがモトさんはなぜか元気がなかった。看護師長が挨拶に来てくれたが、何しろ病室を移ったばかりで、肝心な話を聞くことはできなかった。理学療法士も来てくれた。彼は手際よく、家で過ごす場合に備えて、車椅子や歩行器での移動が可能な構造になっているかを質問してくれた。

 

 一般病棟では携帯電話を使ってもいいそうなので、私が預かっていた携帯電話や充電器をモトさんに渡した。いままではモトさんは、私と離れていると頻繁に電話を寄こしていた。それなのに携帯電話を手渡してもべつに喜びもしないのが気になった。
 そこでモトさんを車椅子に乗せて面会所に連れ出した。テーブルを挟んで向き合い、モトさんに喋らせようとしたのだ。

 

「生まれたところの住所を言って」と私。
「愛知県一宮市、、、ええと、、、〇の〇〇番地」
「違うでしょ、合併して一宮市になったけど、その前は何とか町か何とか村だったんじゃない?」
 だがモトさんは同じことをくりかえす。
「で、そこには何歳までいたの?」
「ううんと、、分からなくなっちゃったな」
 モトさんはきっとくたびれているのだ、と考えて私も話を打ち切った。

 

 病院の帰りにスーパーに寄った。すると以前ご近所だったヤマヤさんに会った。ヤマヤさんは90歳。つい2か月ほど前までもう店は閉じてしまった大きな商家に一人で暮らしていた。きれいな中庭や裏庭があって、ツツジや翁草などが咲くと、私を呼んで見せてくれたものだ。けれどいよいよ一人暮らしが心細くなり、駅前の有料老人ホームに入居した。つい先日会ったときは「夕飯時におしゃべりができるので嬉しい」と言っていた。だが今日は「テレビと新聞だけが友達。話し相手がいないの。あなたに会えて本当に嬉しい」と10分足らずの道のりを一緒に歩気ながら、何回も言った。年を取るのは、そのこと自体が寂しいことなのだ。

 

 その夜、ふと気になりだしたことがあり、なかなか寝付けなくなった。モトさんが喋るのさえ面倒くさがったのは、看護師長が言っていた「安定させる薬」のせいではないだろうか。だったら早くその薬は止めてもらわなければ。だが誰にどんなふうに言えばよいのだろうか。
 

 

老老対話 その5   忙しいなら帰っていいよ

「忙しいなら帰っていいよ」


4月13日 月曜日
 モトさんが入院してちょうど1週間。入院以来、私は毎日面会に行った。何故モトさんのために、こんなに時間を費やすのか。その理由を考えてみた。

 

1.集中治療室にいるためにモトさんは携帯電話が使えず、私に連絡ができない。
2.私は花粉症のために外出を控えているが、それでも短時間でいいから外に出たい。病院は歩く距離がちょうどいい。それに図書館やスーパーも近いから用事を一気に済ませられる。
3.軽症とはいえ脳梗塞となれば、今後は意思疎通も難しくなるかもしれない。いまのうちに話したいことは話しておかないと。

 

そしてもしかすると次の理由が一番大きいかもしれない。
4.思わぬ急な入院で、この町にある地方銀行でお金を下ろせるようにしておこうと、モトさんの通帳をチェックしてみた。すると、平成26年2月末から3月初めにかけて500万円ずつ3回振込んでいる記録があった。2014年、いまから12年前だ。モトさんの母親の施設の費用として、義姉(モトさんの兄の妻)あてに送ったものと思われる。だがその数年後に母親が亡くなった時、義姉は認知症初期だったモトさんに「覚書」なるものを書かせて遺産相続を放棄させ、母親の遺産をすべて自分の息子に相続させた。モトさんて、そういう人だ。ドンくさいというか、お人好しというか、間抜けというか。
 モトさんの顔を見に行くのは、この人っていったいどんな人? と思っているからだ。

 

 入院したときは、集中治療室にいるのは数日と言われていた。それで看護師に、
「いつごろ一般病室に移れますか」と訊いてみた。
「明日、入院から1週間目のMRI検査をするので、その結果移ることになったら、電話で連絡します」とのことだった。

 

 寒がりのモトさんは、今日は最高気温が22度だというのに、チョッキを着て電気毛布をかけてベッドにいた。うとうとしているふうなので、
「こんちは」と声をかけた。すると目を開けながら、

「ああ、キミか」とはっきりした口調で言った。

 昨日、意識が戻った気がする、と自分で言ったくらいだから、色んなことが分かってきたのか。

 

 そう思っていると、こんどはいきなり、

「キミ、なんで毎日ここに来るの?」と言い出した。

 大層なご挨拶だ。どうやら何も覚えていないという状態だったのが、昨日の記憶はあるという状態に変わったらしい。

 だったら私も負けてはいない。
「だって入院すると、急速にボケが進むというから、少しでもボケさせないようにと思ってね」と私もあけすけに言い返す。

 


 外はいま、花見客がいっぱい。すぐそこの公園でも、弁当を広げて桜を眺める家族がいた、などという話をする。

 そんな話はつまらなそうなので、自民党大会の話もする。
「高市首相が、改憲の機は熟したなんて言い出したよ」
 これもモトさんには面白くなかったらしく、
「キミ、忙しいんだろ。もう帰ってもいいよ」と言う。
 ああ、いつものモトさんに戻った、と私は思う。実に率直な人だ。私がべつに話したくもないことを喋っているのを感じ取ったのだ。

 

 面会時間はまだ15分も残っていたが、病室を出た。
 モトさんがあんなふうに率直というより実利的な人だから、私もヘンに感傷的にならずに済むし、優しい人の振りをする必要もない。私は私がしたいようにすればよいのだ。


 図書館に寄り、瀬戸内寂聴の初期の短編をひとつ読んだ。というのもつい先ごろ彼女の『余白の春』を読んで、こんな題材をすらすら読める人情ものに仕立ててしまうのか、うまいものだなあと思ったからだ。先頃話題になった映画「金子文子 何が私をこうさせたか」よりずっと面白かった。だが初期の短編「花芯」なんかは、つまらなかった。

 

 夕方懐古園へ行く。台湾人カップルがいたので、本丸の石垣の上に是非上るよう勧めた。私もそこから夢のような美しい風景を眺め、台湾人カップルもとても喜んでくれた。それから茶店で、夕暮れ時の桜を見ながらおでんとお汁粉を食べた。。おでんが700円、お汁粉が850円、昨年よりだいぶ高くなった。


 昨年は歩くのを嫌がるモトさんを無理やり茶店まで連れてきた。熱燗とおでんを味わいながら花吹雪を眺めたものだ。だがあのときもモトさんは、

「2人で花見なんていうのも今年が最後かもね」という私を遮って、

「こんな寒い所より、暖かい家の中で一杯やった方がずっといい」と毒づいた。

260413老老対話 その4  今日はじめて意識が戻ったよ

「今日はじめて意識が戻ったよ」


4月12日 日曜日
 昨日は土曜日で好天。桜が花盛りでしかも季節外れの暑さだったものだから、今日が桜見ごろの最後の日とでも皆が思ったのか。大変な人出だった。今日も同じような快晴で、しかも気温はちょっと低いから昨日よりは快適だ。それなのに人出は少ない。
 観光客を見ていると、皆何を考えて行動するのだろう、と不思議に思うことがある。自分が何を見たいかどこに行きたいかを考える前に、大勢の人がするのと同じ行動を取ってしまうのが普通のことになっているのではないか。

 

 私は今日もモトさんに会いに医療センターの集中治療室に行った。
 モトさんはベッドを半分起こして、気持ちよさそうに目をつぶっていた。起こさない方がいいなら、このまま帰ろうかと思っていると、看護師が声をかけて起こしてくれた。いずれにしろ間もなくリハビリの予定があるのだという。

 

 ベッドのわきの椅子に掛けて、モトさんと話す。
 昨日までのことをまるで覚えていないという。
 月曜日にデイサービスから電話で「歩き方がおかしい、体が左に傾いている」と言われ、翌日には入院していまに至っているいきさつを、また話す。
「僕、そのとき意識はあった?」とモトさん。
「あったよ。軽い脳梗塞だと医者から説明を受けて、私は即入院を決めたけど、そのときにも一応あなたの意見も聞いたよ」と私。
「まるで覚えていないなあ」とモトさん。

 

 こんな調子だから、世の中のことなんかまるで分からない。
 アメリカとイスラエルがいきなりイランを攻撃し、それ以来、ひやひやするような日々が続いている。世界戦争に発展するのではないか。石油が入ってこなくなったら、経済的な打撃はもちろん大きいが、ナフサを原料とする医療品などの不足で、命の危険も招きかねない。などなど。

 

「いいねえ、世の中の出来事にまったく無関心でいられるというのも」と私。
「そうだなあ、何も知らないのは実に平和だ」とモトさん。
 それでモトさんは、改まってこういった。
「僕、今日から意識が戻ったような気がするよ」
 ああ、もう大丈夫かもしれない。入院で脚は弱るだろうが、もうしばらくはモトさんのままでいてくれそうだ。

3老老対話  その3   花を楽しむ気になれない

「花を楽しむ気になれない」


6月11日 土曜日
 静岡あたりでは30度越え、という暖かい日。
 朝から時ならぬ花見渋滞が起きていて、いつもは静まり返っている家の前の道路に、車が数珠つなぎになっている。駐車場はすぐそこなのだが、家の前のちょっとした空き地が例年車で埋まってしまう。ご近所さんたちと、年に一度のことだから我慢しようと言い合うのだが、弁当の殻を捨てていったり、塀際の花を踏みうぶしたりする不埒者がいるから、花見時の人出には何かと不愉快さが付きまとう。

 

 1時半ごろモトさんの面会に行くと、ベッドから起きて車椅子に座っていた。
 目の前にモトさんがしばらく前から読んでいるはずの『日本語からの祝福、日本語への祝福』(李琴峰著)が、置いてある。それでつい最近見たニュース、この本が梅棹忠夫・山と冒険文学賞を受賞した話をする。モトさんはたぶん李琴峰の小説には興味が持てないだろう。だが台湾については、私が台湾生まれのせいもあって、かなり関心を持っている。だから何回か話したことのある、この本の中のエピソードをまた話す。

 

 台湾出身の日本語作家は少なくない。だが李琴峰の場合は彼らと違って、身内に日本語を喋れる人はいなかった。日本に住んでいるとか日本と関係の深い親戚などもいなかった。田舎で育ったせいもあって、日本語に触れる機会もほとんどなかったが、アニメで見た平仮名のクニャクニャとした形に惹かれて日本語に興味を持ったという。

 

 彼女が日本語を学んでいく過程も興味深いが、中国文学に関する話もとても面白い。彼女は「中国語では古典と現代語の距離が日本語より近い」と言っている。文学好きの台湾人の少女たちが、普段の会話のなかにも盛んに古典を引用する様が書かれていて、その会話の奥深さには憧れさえ抱いてしまう。その様子をモトさんに聞かせようと、本を手に取ってその個所を読み始めると、モトさんがぽつりと言った。
「その話はもういいよ」と。


 こんなふうに話を中断されるのは、考えてみれば初めての気がする。モトさんは思えば長年にわたって、私のとてもいい聞き手だった。私が自分の関心事を勝手にしゃべり続けても、たいていは「それで?それから?」という具合に、いつまでも耳を傾けてくれたものだ。そのモトさんの頭も、疲れてしまっているのだろうか。

 

 帰り道、今日は家の近くの懐古園は花見客で溢れているようだが、そのうえ街のあちこちにたくさんの出店が出て、そこも結構にぎわっている。この小さな街に、こんなに人がいたっけ、と思うほどだ。
 出店の並ぶ街中の小さい公園を通り抜けようとしたら「田村さん」と声をかけられた。生活クラブ生協の出店にいた友人が、商品宣伝用の珈琲と牛乳をご馳走してくれた。生活クラブ入会を勧める友人の話を上の空で聞きながら、ここ1週間のモトさんの入院騒ぎのなかで、はじめてゆっくり珈琲を味わった。

 

 帰宅して、今日が見ごろだという懐古園の桜を、やはり一目見ておこうと出かけてみた。懐古園は規模は小さいが、ちょうどうまい具合に起伏があるせいか、一回りしてみるとその風景の変化に感心する。
 昨年は花見時に、モトさんを何とか歩かせて園内の小さい茶店にたどりついた。熱燗を注文して、おでんを頬張ったりした。今後はどうなることだろう。

 

 懐古園の本丸の石垣に上る。昔ながらの自然石を組み合わせた石段は、足場は悪いが、石垣の上からの眺めはほかにはちょっとないくらいの絶景だ。頭上にも眼下にも、すぐ脇にも、周り中に桜が咲いているのだ。
 昨年と同じような景色の中に佇んでみた。けれども、花をじっくりと楽しむ気分には、どうしてもなれなかった。

 

老老対話  その2   そういえばヘンだったなあ

「そういえばヘンだったなあ」

4月8日 水曜日
 朝のうちに短い原稿書きの用事を終え、手早く昼食も済ませて、「有料老人ホームひまわり」に向かう。モトさんが常用している薬を預けてあるので、それを入院中の医療センターに届けなければならない。泌尿器科から出ている尿路結石の薬、それに精神科から出ている気分を沈める薬だ。とはいえ、モトさんは認知症になる前も今も、非常に穏やかな人だ。

 

 「ひまわり」のスタッフは心配してくれ、薬もすぐ渡せるよう用意しておいてくれた。モトさんの部屋は、布団の洗濯や、いつもより念入りな掃除をなどをしている様子だった。私は机回りを見回して、読みかけらしい本2冊と、小さいノートを持ち出すことにした。

 本は「人間のいとなみ」(青野聰著)と「日本語からの祝福 日本語への祝福」(李琴峰著)だ。青野聰は昔からの友人だから、若い頃の作品をまた読み返しているのだろうか。李琴峰の本は、私がとても面白いからと勧めたものだ。彼女は他の台湾出身の日本語作家と違い、身内に日本語をしゃべる人も、日本に関連のある親戚などもまるでいなかった。子供の時にクニャクニャした平仮名に興味をもち、日本語を学んでいく話も面白いし、中国文学に関する豊富な知識にも感嘆する。

 

 帰ろうとすると「ひまわり」のスタッフが、こんな話をしてくれた。彼女は掃除洗濯などの担当だが、モトさんと割に気が合うみたいだ。
「デイサービスに行く前日の夜、モトさんが珍しく夜の7時過ぎに、廊下をぐるぐる歩いていたんですよ。そして食卓の椅子に用もないのに座っていたから、お部屋はあっちですよと言ったら、周りを見回してお部屋に戻られたけど、いつもと様子が違うなと感じましたよ」とのこと。

 そう言えば、と私も思い出した。月曜日に「認知症家族の会」に行き、最近気になることや近況などの話し合いで、私はこんなふうに言ったのだ。
「この3日間、モトさんからまったく電話が来ないんです。ちょっと気になるけど、施設にいても周りの人やそこでの出来事に関心を持てずに、私にしょっちゅう電話してくるのもあまりよくないと思うから、こちらからは電話はしていませんが」
 あれもまた、脳梗塞にまつわる不調のサインだったのだろうか。

 

 医療センターに行き、売店で院内で履く靴を買う。すると売店には試し履きの制度があり、それでサイズを確かめて買えることが分かった。MとLを借りて、モトさんのいるHCUに行く。モトさんは管につながれてベッドにいたが、顔色もよく元気そうだった。
「僕は、どうしてここにいるの? それで今後はどうなるの? 僕は何も説明をうけていないのだけれど」というようなことを繰り返し言う。
 家族が認知症に慣れるというのは、こういうことだなと、つくづく思う。
 私も、認知症初期のころのように、「ちゃんと説明したでしょ」「さっき話したでしょ」などとは絶対に言わなくなっている。何回も何回も同じ話をするのが、私自身苦痛ではなくなっている。

 

4月9日 木曜日
 朝10時から、文化センターのフィットネス教室へ行く。フィットネスを月2回、ヨガを月3回やって、私は辛うじて健康を維持しているのだ。
 帰宅して昼食を取る。帰りにセイユーで買ったうどんを茹でて、昨夜の残りの鶏肉スープに入れた。かなり美味しい。

 

 すると医療センターの看護師から電話が来た。モトさんが、寒いからチョッキかカーディガンが欲しいと言っている、とのこと。いまから面会に行こうと思っていたから、持っていきますと返事をした。

 

 モトさんは、ベッド横で車椅子に座っていた。看護師の話では、リハビリで歩いてみたが、まだフラフラするのでしばらくHCUにいることになる。ここがどこか分からず、自分が何をしているのかも分からず、点滴の管を抜いてしまったりした。車椅子の安全ベルトも嫌がるが、立ち上がると管が外れたりするので、注意してくれないかという。

 

 モトさんは、やはり自分がなぜここにいるのか、どういう状態なのかが分からなくなっているらしい。それでまた、月曜日に歩き方がおかしいということから始まった、軽い脳梗塞発見までのいきさつを話す。

 

 テーブルにA4の紙がクリップで止めてあり、「看護師からのお願い」という文が書かれていた。ここは「こもろ医療センター(病院)です」「いまは治療中なので、点滴の管などは触ったり抜いたりしないでください」「車椅子から立ち上がると危険ですから、立ち上がらないでください」と書いてある。
 これはいい方法だ。何か分からなくなった時、これを見ればよいのだから。「ひまわり」でも、携帯電話が故障したとき不安がらないようにこの方法を使ってくれた。「田村さんから電話があり、携帯電話の修理の予約が〇日に取れたとのこと。田村さんと一緒に携帯電話店に行くことになっています」と。

 

 そこで、看護師のメモの下に、私が話したことをモトさんに書かせた。
「医療センターに入院した事情、現在の状況は田村も全部承知している」
「困ったことがあったら看護師経由で田村に連絡をしてもらえる」
「ここは家からとても近い」
 これが、モトさんの安心材料になってくれることを願って、帰宅した。

老老対話  その1 軽い脳梗塞です

 

軽い脳梗塞です

2026年4月6日 月曜日
 季節はずれの暖かい日だった。
 月2回の「認知症家族の会」を終えて帰宅した。いまごろになってやっと分かってきたが、認知症といってもその症状はほんとうにさまざまだ。そのことに、医者さえも認識は薄いのではないかと思われる。認知症患者のすぐ身近にいる家族は、医者からも適切な助言は得られず、対処に苦慮することになる。私も4年ほど前、つれあいのモトさんが認知症になったころは、右往左往するばかりだった。それで友人に誘われて入会したのだが、ここで話される体験談にはいろいろと助けられた。

 

 帰宅してしばらくすると、モトさんが週に2日デイサービスに行っている「みんなの家タブノキ」の責任者の深山さんから電話が来た。
 「モトさんの歩き方がおかしい」と深山さんは言った。「本人はどこも痛くはないと言うが、よろよろして、入浴後は10メートルぐらい先の自分の席に戻れず、5メートルぐらいで座り込んでしまった。体が左に傾いているように見える」とのこと。

 

 モトさんはここのところ、私から見ても急速に脚力が衰えている。10年ほど前には私たちは散歩好きだったから、周辺の林や公園、それに北國街道沿いの街並みなどをくまなく歩きまわったものだ。私は子供時代を過ごしたこの町に、70歳近くなってから戻ってきたわけだが、私にくっついてきたモトさんにとっては、憧れの信州に住み始めたというわけでワクワクしていた。

 

 その後もずっと、私はジョギングやウォーキングを続けているが、モトさんはだんだん出歩くのを嫌がるようになった。美味しいランチがある、などと食べ物で釣って誘い出すことができたのも2年ぐらい前までだ。最近では、春になって花がきれいだからと誘っても、庭に出るのさえ面倒くさがるようになった。

 

「モトさんは、最近は目立って脚が弱ってきていますから」と私が言っても、深山さんは、「いやそんなことではない」と言う。「総合病院で、どこが悪いか見てもらった方がいい。特に脳の検査は必要だと思う」と強調した。
 そこで私は、この町の総合病院・医療センターの相談室に電話をした。その結果、たとえば呂律が回らないというような緊急事態であれば、時間外でも救急外来に来てくれ、そうでなければ明日朝脳外科の外来に電話をしてMRIと受診の予約を取ってから来院してくれ、とのことだった。

 

 通常ならば月曜日は、「タブノキ」のデイサービスのあとは、5時ごろに「有料老人ホームひまわり」に送ってもらうことになっている。だが今夜救急外来に行く羽目になるかもしれないし、そうでなくとも明日は医療センターで受診しようと私が決めたので、モトさんはタブノキから自宅に送られてきた。


 
 だがやはりモトさんの様子は、いま思えばだいぶヘンだった。
 第一に、自宅に帰ってきたことをまるで喜んでいないのだ。このところモトさんは2週間ごとに週末を自宅で過ごしていて、帰宅することをとても楽しみにしている。私が「ひまわり」に迎えに行くと、すっかり帰る仕度をして、帽子までかぶって待っているのだが。

 

2026年4月7日 火曜日
 朝8時半に医療センターの脳外科外来に電話をする。昨日相談室に話した内容は伝わっていて、10時にMRI、11時に診察との予約が取れた。「ひまわり」には、医療センターで受診したあと、昼食をすませてからモトさんを送り届けると、連絡をした。

 

 MRIを撮ったあと、医師の話を聞く。昨日タブノキからの連絡で聞いた、体が左に傾くというのは医師に伝わっていた。それで私からは、今朝病院に連れてくるとき私が右側を歩くと、モトさんが妙に寄りかかってくる、と伝える。

 

 画像をいくつか見せられ、真ん中辺に白いくっきりした点がある画像が出てくると、医師は「これが脳梗塞です。幸い軽そうですが」と言う。治療でどれくらい改善するかは分からないが、このままだと明らかに悪化する、とのこと。

 私は昨日中に、デイサービスや老人ホームのスタッフから、脳の検査が重要と聞かされていたし、脳梗塞の場合は早めの治療が肝心ということは常々聞いているので、即入院を決めた。

 

 最初の医師が非常勤だったので、常勤の医師に代わり、入院について説明を受ける。
 パジャマなどを借りる手続きを取れば、すぐに着替えさせて検査に入れるとのことなので、そうした。入院にあたっての書類を書いているあいだに、モトさんは着替えて検査に入り、これから集中治療室に行くというときに会った。パジャマ姿でベッドに横たわったまま、運ばれていくモトさんに付き添う。

 

 その後、集中治療室で点滴などを始めて機械につながれたモトさんのところに案内される。くたびれたのだろう、目を閉じて居眠りしているような様子だった。
 私からモトさんに状況を説明して、「明日また来るから」と言って私は病院を出た。

 

 手続きなどの作業が相次いで、昼食抜きだった。空腹なのでサンドイッチを買い、車の中で食べる。そして急いで予約してあった鍼治療に向かった。3週間ぶりなので、私は鍼治療を楽しみにしていたのだ。