軽い脳梗塞 その後ーー1
クラウンデンス症候群?
モトさんは今年の4月7日から5月1日まで、25日間小諸医療センターに入院した。軽い脳梗塞、との診断だった。受診したきっかけは、前日の4月6日に行っていたデイサービスの施設「みんなの家タブノキ」から電話が来て、「モトさんの歩き方がおかしい。歩き始めてすぐへたり込むように座ってしまうのもヘンだ。病院に行った方がいい」と言われたことだ。後に知ったことだが、モトさんの歩き方がおかしいと言い出したのは、近所に住むボランティアの高齢女性だったそうだ。遊びがてらタブノキに来て、炊事や掃除を手伝っているのだという。施設でいろんな人に接するのは、こんなふうに利点が多いと思う。
7日朝、小諸医療センターに行きMRIを撮った結果、軽い脳梗塞と言われて、即入院を決めた。その後の経過は前記「老老対話」に書いた。
退院にあたって医師からの注意が伝えられた。モトさんが車椅子を利用するようになったこと、入浴などは必ず介助が必要なこと等々の理由で、病院側は施設が受け入れるなら退院許可を出す、とのことだった。施設側の意向を確かめると、居住施設の「ひまわり」も、デイサービスの「タブノキ」も、モトさんに早く戻ってきて欲しいと言ってくれた。有難いことだ。両者とも「病院にいると脚力が衰えるから、早く施設に移った方がいい」という意向だった。
退院当日はさまざまな手続きを終えて、11時には荷物や薬もろともモトさんと私は医療センターを退出した。退院担当の看護師からも、そのまま「ひまわり」に行って昼食をとる予定になっていると言われていた。だが私は独断で「ひまわり」に電話して、昼食はいらないと告げ、自宅に向かった。モトさんと二人で退院祝いをしたかったのだ。
レストランに行くのは無理だから、自宅近くにある韓国料理のテイクアウトの店に、前日予約が必要な季節限定の花見弁当を注文しておいた。ここは韓国料理のチェーン店でメニュー開発をしていたという女性が退職後開いた店だ。小さい民家で、台所の横の窓から料理を売ってくれるささやかな店だが、プロ意識は高くていつもきちんとした身じまいで、ほかほかの出来立てを手渡してくれる。よく利用するから私たちの好みも知っていて辛さにも配慮してくれる。何と言っても安くて美味しい。この日はべつにモトさんの退院のことなど話していなかったが、もち米と2種類の豆で作ったデザート、それにスープをおまけにつけてくれた。
いま振り返れば、あれはたった4か月前のことだが、モトさんも私も元気だった。モトさんは、入院のせいで脚力が落ちていたとはいえ、我が家の草木の茂る庭を石ころや草花を避けながら歩いて、居間にたどりついたのだから。
しんと静かな場所は、久しぶりのことだった。こうしてモトさんと二人で食卓につくのも久しぶりだ。モトさんは食欲も結構盛んで、花見弁当もまずまず平らげ、食後の果物もおいしそうに食べた。
施設での生活が始まると、私は時間を見てはモトさんに会いに行った。幸いどちらの施設も、今どき珍しいことだが面会時間の制限などない。だから私は時間を作っては「こんにちは」と気軽に訪ねることができた。なぜ頻繁にモトさんに会いに行ったかと言えば、モトさんが歩けなくなるのを防ぎたかったのだ。だから、忙しそうなスタッフの邪魔にならないよう、モトさんを連れ出しては腕を組んで、ちょっとでも一緒に歩こうとモトさんを励ました。
ところが、モトさんのようすが次第におかしくなっていった。歩き方も杖をついてやっと歩くというふうだ。なによりもヘンだと思ったのは、首がだらんと前に傾き、下ばかり向いていて前を見ることができないことだ。「顔をあげてごらん」と言うと、「首が痛くてあげられない」と言う。これがひどくなるようなら何とかしないと、と施設の人たちと話し合っていたところ、とうとう動くのは困難という状態になってしまった。
5月17日、日曜日。退院後16日しかたっていないので、入院していた小諸医療センターに電話をした。救急外来に電話がつながり、症状の説明を求められた。ところが結局、モトさんを連れていくのは断られてしまった。理由は、「今日は救急外来が停電なので、来てもらってもMRIが撮れない」ということだった。同じ市内にいる私たちのところは停電などしていなかったから、この点はいまだに謎なのだが。
それで救急車を呼んだ。私はモトさんと一緒に乗り込み、救急隊員にあまり遠くの病院にならないようにしてくれと頼んだ。結局2回目の連絡先だった佐久医療センターの救急外来が、受け入れると返事をくれた。ここは以前にもモトさんが泌尿器科に通院したことがあるので、馴染みがある点では助かった。それにここなら私も自宅から車で行くのが、それほど大変ではない。
救急外来のせわしない診察室で、担架で運ぼ込まれたモトさんはそのままベッドに移され、さまざまな検査を受けていた。病名はクラウンデンス症候群ではないか、とのことだった。首の痛みがひどいし、立つと体が右に傾いてしまうので、そのまま入院することになった。
だが、ここで思わぬことが起きた。首のMRIを撮ったときに偶然胸部大動脈瘤がみつかったのだ。大きさは60mm。いつ破裂してもおかしくない状態で、もし破裂した場合は即絶命、と医師から伝えられた。伝えられた場所は、救急外来の待合場所。せわしなく行き来する人がいて、具合悪そうに待合所の椅子に横たわっている人もいて、かと思えばスポーツ合宿か何かの最中にケガをしたらしい外国人少女3人組がうるさくおしゃべりをしていた。
私は疲れがひどいせいか現実感が湧かず、だからあまりショックも受けなかった。モトさんに割り当てられた病室を見て、モトさんの携帯電話などを預け、モトさんが運び込まれるのを見届けて家路についた。
行くときは救急車だったから、車がない。最寄りの小海線の駅に向かうと、電車は1時間に1本くらいしかないはずなのだが、このときは偶然にも駅に着くとすぐに電車が来た。ただぼんやりと外を見ていた。下りるのが終着駅だったのは幸いだった。気づいたら空っぽの電車に一人だけ座っていたので、電車を降り、帰宅した。
この時の入院は1週間だった。私は数回モトさんを見舞い、病室から連れ出して窓の外の景色を見ながらお茶を飲んだ。私が住む町は浅間山麓の南斜面にへばりついた坂ばかりの場所で、山が間近に迫っている。佐久医療センターは隣町にあるのだが、佐久平といわれる平らな場所だ。病院の敷地も平らで、芝生と大木の木立の間をジョギングする人も見られる。せめて緑溢れる周囲の景観を楽しませたいのだが、モトさんは首の痛みやさまざまな不調で、なかなかそんな気分にはなれないようだった。
1週間後、モトさんの首の垂れ下がり具合も、痛みも、体の傾きも、大して改善したとは思えない状態だったが、退院させられた。救急外来に運び込まれた理由はほぼ治療を終えたから、あとは通院診療に切り替えるとのことだ。モトさんは自力歩行は出来ない状態だったから、私が車で連れて帰るなどもってのほかというのが病院の見解だった。それで、病院が手配してくれた介護タクシーで「ひまわり」に退院した。