3老老対話  その3   花を楽しむ気になれない

「花を楽しむ気になれない」


4月11日 土曜日
 静岡あたりでは30度越え、という暖かい日。
 朝から時ならぬ花見渋滞が起きていて、いつもは静まり返っている家の前の道路に、車が数珠つなぎになっている。駐車場はすぐそこなのだが、家の前のちょっとした空き地が例年車で埋まってしまう。ご近所さんたちと、年に一度のことだから我慢しようと言い合うのだが、弁当の殻を捨てていったり、塀際の花を踏みうぶしたりする不埒者がいるから、花見時の人出には何かと不愉快さが付きまとう。

 

 1時半ごろモトさんの面会に行くと、ベッドから起きて車椅子に座っていた。
 目の前にモトさんがしばらく前から読んでいるはずの『日本語からの祝福、日本語への祝福』(李琴峰著)が、置いてある。それでつい最近見たニュース、この本が梅棹忠夫・山と冒険文学賞を受賞した話をする。モトさんはたぶん李琴峰の小説には興味が持てないだろう。だが台湾については、私が台湾生まれのせいもあって、かなり関心を持っている。だから何回か話したことのある、この本の中のエピソードをまた話す。

 

 台湾出身の日本語作家は少なくない。だが李琴峰の場合は彼らと違って、身内に日本語を喋れる人はいなかった。日本に住んでいるとか日本と関係の深い親戚などもいなかった。田舎で育ったせいもあって、日本語に触れる機会もほとんどなかったが、アニメで見た平仮名のクニャクニャとした形に惹かれて日本語に興味を持ったという。

 

 彼女が日本語を学んでいく過程も興味深いが、中国文学に関する話もとても面白い。彼女は「中国語では古典と現代語の距離が日本語より近い」と言っている。文学好きの台湾人の少女たちが、普段の会話のなかにも盛んに古典を引用する様が書かれていて、その会話の奥深さには憧れさえ抱いてしまう。その様子をモトさんに聞かせようと、本を手に取ってその個所を読み始めると、モトさんがぽつりと言った。
「その話はもういいよ」と。


 こんなふうに話を中断されるのは、考えてみれば初めての気がする。モトさんは思えば長年にわたって、私のとてもいい聞き手だった。私が自分の関心事を勝手にしゃべり続けても、たいていは「それで?それから?」という具合に、いつまでも耳を傾けてくれたものだ。そのモトさんの頭も、疲れてしまっているのだろうか。

 

 帰り道、今日は家の近くの懐古園は花見客で溢れているようだが、そのうえ街のあちこちにたくさんの出店が出て、そこも結構にぎわっている。この小さな街に、こんなに人がいたっけ、と思うほどだ。
 出店の並ぶ街中の小さい公園を通り抜けようとしたら「田村さん」と声をかけられた。生活クラブ生協の出店にいた友人が、商品宣伝用の珈琲と牛乳をご馳走してくれた。生活クラブ入会を勧める友人の話を上の空で聞きながら、ここ1週間のモトさんの入院騒ぎのなかで、はじめてゆっくり珈琲を味わった。

 

 帰宅して、今日が見ごろだという懐古園の桜を、やはり一目見ておこうと出かけてみた。懐古園は規模は小さいが、ちょうどうまい具合に起伏があるせいか、一回りしてみるとその風景の変化に感心する。
 昨年は花見時に、モトさんを何とか歩かせて園内の小さい茶店にたどりついた。熱燗を注文して、おでんを頬張ったりした。今後はどうなることだろう。

 

 懐古園の本丸の石垣に上る。昔ながらの自然石を組み合わせた石段は、足場は悪いが、石垣の上からの眺めはほかにはちょっとないくらいの絶景だ。頭上にも眼下にも、すぐ脇にも、周り中に桜が咲いているのだ。
 昨年と同じような景色の中に佇んでみた。けれども、花をじっくりと楽しむ気分には、どうしてもなれなかった。