瞽女 桜 そして癌   

 

 4月の10日を過ぎたころ、上越市高田へ出かけた。ここには瞽女(ごぜ)ミュージアムというのがあり、前から行きたいと思っていた。だが開館するのは土日だけとあって時間が取れずにいたのだ。
 瞽女というのは知られているように、盲目の旅芸人だ。盲人の身で、旅支度の大きな荷物を背負い、三味線も背負って、遠くの辺鄙な村々を旅した。いま私が暮らしている長野県小諸市にも明治時代ぐらいには瞽女がやって来たという記録がある。しかも町の中心部から徒歩で2時間もかかる、街道からも大きく外れている山の中の集落だ。
 こうした旅芸人などになぜ私が惹かれるのかは、私自身にも謎なのだが。


 上越妙高駅で新幹線を降り、えちごトキめきというローカル線に乗り換える。そのプラットホームに立ったとたん、にわかに旅心地が湧いてくる。あたりがひっそりと静まり返っているせいだ。新幹線の列車が轟音を立てて発車してしまえば、あとは三両編成のローカル電車がゴトゴトとホームに入るまで、ほとんど無音だ。そこに立って雪山の写真を撮った。1枚は山頂だけが雪で白くて青い山肌をみせている。もう1枚はもっと高くて全体が眩しいような雪に覆われ、青空を背景に屹立している。この2枚をその場で、いまは北の果てに住む友人に送った。たしかこのあたりの出身だと聞いていたからだ。近頃私は、何も文章をつけずに写真だけを数人の友人によく送る。
 
 
 高田駅で降りて街に脚を踏み入れる。ここには何回か来ているので、目指す瞽女ミュージアムはすぐにみつかった。けれど想像していたのとはだいぶ違い、周囲の建物と変わらぬ小ぶりな町家だった。両端のミュージアムと書いた大きい垂れ幕がなければ、通り過ぎてしまったことだろう。訊いてみたところ元は麻を商っていた家だそうだ。硝子戸の引き戸を開けて入ると、広くもない三和土があって、それは細長い家屋の端をずっと裏口まで貫いている。上がり框付近には瞽女に関する書籍やCDやDVDが並び、受付の小机がある。その背後は建具を取り払ったり明け放したりした展示室が続いている。
 炬燵のある小さい部屋で25分ほどの瞽女の記録映画を見せてもらった。50年ほど前に大島渚監督がテレビ放映のために撮ったものだという。
 昭和30年代、高度経済成長の時期に瞽女とその芸能は衰退していった。だが高田には高齢の瞽女が生存していて、彼女らに昔の旅回りを再現してもらい撮影したのだという。3人の瞽女が、いくらか視力の残る者を先頭にして、片手を前の人の肩に乗せ、鎖のように連なって旅に出る。昔と違い電車も利用する。長旅の先では門付けをして米などをもらい、夜になると瞽女宿と呼ばれる大きな家に村人が集い、瞽女唄を聞き、果ては自分たちも唄い踊る。薄暗い電灯の下、村人の顔は年に一度ほどの歌舞の宵に喜色満面だ。いま私たちの周りは歌や踊りが溢れているが、これほどの喜びの表情を見ることは無くなってしまった。


 展示されている資料は、斉藤真一が描いた多くの瞽女の絵、瞽女の足跡を追って調査した日誌、瞽女の足跡や各地に残る瞽女宿を細かく記した地図など、たくさんのものが丹念に集められ整理されている。どれも興味深くとても一日では見切れない。聞けばこのミュージアムは、瞽女の芸能や文化を保存し伝えていこうと、NPO法人が運営しているとのことだ。なるほど受付の女性も、知識が豊富で、それを来館者に伝えたいという熱意がうかがえる。いろいろな話を伺ったが、また来ることにしてミュージアムを後にした。

 

 雁木の残る街並みを、桜が満開だという高田城址公園方面に向かって歩く。ひとけのあまりない通りをあちこちよそ見をしながら歩いているうちに、私が何となくこの町が好きな理由が分かってきた。雁木が、私の生まれ故郷・台南の亭仔脚にちょっと似ているのだ。雁木は大雪を避けるため、亭仔脚は暑い日差しを避けるため、と用途はだいぶ違うが。それに雁木は木造、亭仔脚は石造りと、雰囲気もだいぶ違うが。
 そう、私は熱帯にある台湾南部の町で生まれたのだ。そんなことを雪深い冬を終えた街並みを歩きながら考える。それを強く感じるのがいまごろ、つまり冬の寒さが去って暖かくなってゆく春先だ。皆が暖かさを喜び冬服を脱ぎ捨てていくのに、私は寒さが怖くてそれができない。現にこの日も、急に暖かくなって道行く人は半分以上が半袖姿だというのに、私はといえばコートを羽織り、首元にはきっちりとマフラーまで巻き付けていた。
 さっきのミュージアムでも、ビデオを見ながらポカポカと暖かい炬燵が嬉しくて脚を突っ込んでいたのは私だけだった。


 高田城址公園は本当に桜が満開だった。公園はとても広く、人が多い。しばらく歩いてみたが、すぐに飽きてしまった。私が暮らしている信州の小都市は、浅間山南麓にへばりついた町だから坂道ばかりだ。家の近くに城址公園があるがここよりずっと小さい。何より違うのはこんなふうに平らではないことだ。傾斜地は不便といえば不便だが、その分景観の変化が微妙で面白い。同じ桜でも根元から見上げたり、もっと下から見上げたり、少し高い場所から花を真横に見たり、あるいはもっと高い場所から見下ろしたり、ということを私たちは日常的にやっている。それに比べればだだっ広い平らな場所に桜があちこち咲いていても、私はほとんど感興をもよおさない。桜の下で弁当を食べる家族を遠くから写真に撮り、また北方の友人に送った。


 朝家を出るときは、もっとゆっくりと遊んで帰るつもりだったが、暑さのせいかだいぶ疲れたのでまっすぐ帰ることにした。夕闇ごろ着いた信州の我が町は、肌寒い風が吹いていた。
 くたびれたからそろそろ寝ようとふとスマホをチェックすると、写真を送った友人から、最近音沙汰がなかった割には素早く返信が届いていた。写真の礼のあと、こんな文面が続いていた。
「実は私、前立腺癌になりました。調べたところ骨や内臓への転移はなし。治療方針は30日ごとの男性ホルモン遮断の注射と毎日1錠の薬。日常生活に支障はなく、ゴルフも自由とのことで2回やりました。お知らせまで。」
 ううむ、と思いつつ私からも素早く次のように返信した。
「ううむ。年取って体力知力が落ち始めると、一気に思わぬ苦難が押し寄せる、というのがどうやら人生の筋書きみたいね。最近やっと分かってきました。私は相変わらず独り旅を楽しんでいます。お元気で。」
 友人へ、精一杯の本音を書いた。だが発信したあとすぐ、冷たいだろうか、と思った。いまの私にはこれでよかったかは分からない。