「さびしいね」と言えますか

 


 水曜日の午後にはヨガ教室に行く。いままでずっと私は引っ越すたびにヨガ教室を探して、もうかれこれ30年以上も週1回ぐらいのペースではあるがヨガを続けている。最近になって思うのは、ヨガ教室というのはとくべつな場所だということだ。
 1時間半ほどのあいだ、ひとりひとりが自分の体に注意を向けながら、ゆっくりとすみからすみまで体を動かす。そんなことをしているうちに、いま自分の体に起きていることに敏感になっていく。ふとした違和感や変化にも気づくようになる。それをたがいに口に出して、まわりの人の意見を求めたりもする。だから自然と、正直な言葉が口をついて出てくるのかもしれない。


 先回のヨガ教室でも、先生が来て教室がはじまるまでの20分ほどのあいだ、いつものように思い思いのおしゃべりをしていた。年の瀬に向かってせわしない日々が過ぎているから、それにまつわる体の不調などが話題にのぼっていた。
 私も、はじめてやってみている野沢菜漬けの話をした。前の日に野菜の直売所に立ち寄ったとき、野沢菜を一束衝動買いしてしまったのだ。というのも、店にすたすたと入ってきた初老の男性が、積んである野沢菜を品定めして3束ほど買って立ち去ったのだが、店番の女性と交わしていた会話からすると、彼はあれを自分で手際よく漬けるのだろうと思われた。カッコいいな、と思い、つられて私も一束買ったというわけだ。
 店番の女性がテキパキと漬け方を教えてくれた。塩は野沢菜の3パーセント、重石は10キロくらい、3日ほどで水が上がらなかったら呼び水を入れる、水が上がったら重石を軽くする。それだけだ。


 そしてヨガ教室の日、しめしめ今日はだいぶ暖かいぞとばかりに、庭の水道で野沢菜を洗った。子供のときに、野沢菜漬けの作業を見たことはある。広い庭の片隅に大人の腰の高さほどもある樽をいくつもならべ、それぞれにホースで水を注ぎながら女たちが数人で菜っ葉の砂を洗い落としていた。そのあとその大きな樽に5つほども野沢菜と塩が投げ込まれ、木の内蓋のうえに男が大きな石をドカンと載せた。昔はいまより厳しい寒風が吹きすさんでいたから、女たちの手は冷たさで真っ赤になっていたような気がする。
 それにくらべれば、私がいまやっているのはままごとみたいなものだ。バケツを二つ用意して水で流しながら野沢菜を一束だけ洗い、水気を切るために裏の柵にかけた。


 ところが昼過ぎにヨガ教室に行こうとすると、なんだか背中がぞくぞくする。これは大変だと、使い捨てカイロを手ぬぐいで包み肩甲骨の真ん中あたりにあてた。これは私流の初期の風邪対策で、うまくいけば風邪をひかずにすむ。背中が膨らんでいてみっともないが、構うものか。ヨガの途中で邪魔になったら首元からひっぱり出すので、この方法がいちばんいいのだ。けれどもやはりこの歳で水仕事などするものではないかもしれない、と私が話すと、香川さんが「私は野沢菜はお風呂場で洗うの」と言った。そうかその手があったのか、と思いつつ、しかし私は子供時代の木枯らしの中での冬支度がどこか懐かしく、あれをやってみたい気持ちがあったような気もした。


 そんな年の瀬のせわしなさをしゃべりあうなかで、ふだんあまり言葉を交わすこともない荻原さんがいきなり、
「だけどさびしいね」と言ったのだ。「あと何回お正月を迎えられるだろう、なんて考えるようになりたくなかったよね」と。
 ざわめいていた教室のなかが、一瞬静まり返ったような気がしたが、そう感じたのは私だけだったかもしれない。みなのお喋りはどうということもなく、それからそれへと続いていったのだから。


 ヨガから帰るとプラスチックの桶を取りだして、日の落ちる前に野沢菜を漬けた。桶を食品庫におさめてから、庭から集めた石を洗って重石にして載せた。我が家は家じゅうが快適な暖かさに保たれるように作られている。だからわざわざ外気温に近い温度の食品庫が設けられている。なので実は、冷たくて手が赤くなるなどということもいまの私にはないのだ。すると贅沢なことに、昔の寒い家が恋しくなったりもするのだが。
 するとふと、荻原さんが言った「さびしいね」という言葉が頭によみがえった。あれはほんとうだ。けれど私はなぜか、「さびしい」と口にしてはいけないと思いこんでいる。そういうことは言わないようにして暮らしている。なぜだろう。