梅雨寒  新型コロナウィルスの日々

 


 今日は6月21日日曜日。1週間のニュースをまとめて解説したり議論したりするテレビ番組を見ていたら、新型コロナウィルスのことは最後の方で数字の情報だけが知らされた。現在世界の感染者は873万人。一番多いのがアメリカで224万人、次がブラジルで103万人だそうだ。大変な数だ。だが日本は、いまだに感染者数が全体で17000人あまりなどと言っている。どうやら関心もしだいにうすれている感じがする。


 とは言っても日本の実情は、いまだによくわからない。長らく指摘されているPCR検査の不徹底はそのまま続いている。だから実数が不明で憶測が飛び交う。政府が集めた専門家会議のメンバーでさえそうらしく、実際の感染者数はたぶん発表されている数の10倍だろう、いや100倍かも知れない、と専門家の誰それが言ったなどという噂が流れている。


 それなのに、感染者が一番多い地域とされる東京が、つい2日ぐらい前に移動の自粛解除に踏み切った。つまり東京在住者も大手を振ってどこへでも行けますよ、ということだ。いまでも連日30人40人と、新たな感染者数が発表されているにもかかわらず、だ。これはたぶん、目前に迫った都知事選に向けての現職知事の人気取りのための施策であろう、と、これも噂である。そう、この国はどこまでも曖昧な非論理的な国なのだ。


 そう嘆きつつも、規制が緩んだせいだろう、この小さな町にも人の姿が増えた。するとなんとなく気分も華やぐ。東京ナンバーの車が増えて、やはり怖いわねえ、などと言いつつも、気分が軽くなるのはたしかだ。しかもつい10日ほど前まで時ならぬ猛暑日に辟易していたというのに、ここ数日は爽やかというより肌寒いほどの梅雨寒が続いていて体を動かすには快適だ。とはいえここの寒さときたら、カーディガンを羽織るくらいでは足りない。連れ合いはストーブをつけて、私に消せと叱られた。そんななかで21日の今日は夏至、1年で一番昼間の長い日だから夕方の散歩が楽しめる。しかも夕方5時ごろには部分日食がみられるという。南の方ほどかける部分が大きいらしく、台湾あたりだと金環食だというからうらやましい。


 さて、梅雨寒も手伝って私は思わぬ発見をした。2週間ほど前の暑かった日、夕方になって近くの城址公園の馬場で、久しぶりに走ってみた。これからもっと暑くなったら走れなくなるからいまのうちに、というくらいの気分だった。するとなんと、以前と同じように馬場を10周できてしまった。つまり3キロのジョギングができたわけだ。そこへ梅雨寒だ。さてこれをどう活かそうか、と馬場で準備運動をしながら考える。そして気まぐれに全力疾走をしてみた。この日は1周だけだ。ところがその日のよく眠れたこと。子供時代の熟睡が戻ったような気分だった。それで調子に乗って、今日はなんと3周半。1キロちょっとを全力疾走した。はたから見たら、よちよち走っているように見えるだろうことは承知のうえだ。いいのだ、私にとっては全速力なのだから。そう、思わぬ発見というのは、人間、いくつになっても走れるらしい、というごく単純な発見なのだが。

 

新型コロナウィルス  4.ペンキ屋さん

 


 2020年5月13日、世界の新型コロナウィルス感染者数は、とっくに400万人を超えている。最近はもう、関心があまり向かなくなった。というよりコロナ慣れしてしまったと言うべきか。けれども、感染したら死ぬぞという恐怖はいつもある。こういう心持で暮らすのは初めてだなあ。

 

 外出が限られているせいもあって、変わり映えしない日々を送っている。こんなときに慰められるのは、新緑が日々変化して美しさを増すことだ。木というのは不思議なものだ。それぞれが時を知っていて、ある日一斉に芽吹く。ついこの間までほとんどすべての枝に昨年の茶色い枯葉をまとっていたブナが、ふと気づくと大きい木全体がふっくらとさわやかな緑色の葉に包まれている。

 

 今年はコロナのせいで3月ごろからはほとんど家で過ごしている。だから木々の観察もいつもより念入りになる。芽を出すのが遅いのは合歓だ。いまでもまだ枯れてしまったかのように、緑のない枝をひろげている。つい先ごろ、昼時にひょこっと顔を出したペンキ屋さんが、門を入ったところにある合歓の大木の幹に手を当ててこう言った。「これは枯れちゃってるな」。私は思わず言い返した。「それは合歓。芽吹くのが遅いの。あっちにある3本もみな、まだ芽を出していないでしょ」。まるで我が子の悪口を言われた母親みたいだと苦笑してしまう。

 

 このペンキ屋さんは、どうやら御用聞きに来たのだ。1年程前だっただろうか、ご近所の塀のペンキ塗りをしていたのに私が目を止め、いつかこういう仕事を頼まなければならない日が来るかもしれないと思って名刺をもらった。そのとき私は名乗らなかったはずだが、どのようにしてか我が家を探しあててやってきたというわけだ。

 

 ペンキ屋さんは我が家に目を走らせて、「お宅はまだ塗りなおしの仕事はありませんねえ」と言う。コロナのせいで経済活動が止まり、失業者が増えている。そこまでいかなくても仕事が減った人はずいぶん多いだろう。私もいまは引退の身だが、現役だったら確実に仕事は減っていたろうと思う。だから私ができるなら、そういう人を少しでも応援しよう、と日ごろから考えていた。だが残念ながらいまのところ、我が家にペンキ塗りの仕事はない。

 

 するとペンキ屋さんが、自分は別荘管理の仕事もしているからなんでもやります、というふうなことを言い出した。それで私は渡りに船とばかりに、手に負えない庭仕事をいくつか話してみた。込み入っている常緑樹の枝を少し切りたい。明らかに枯れていると思われる木を、いくつか始末したい。居間の窓の外の地面にレンガを敷き詰めて椅子を置けるようにしたい。などなど。

 

 だがそんなやり取りをしながら、実は私は台所が気になって仕方がなかった。ちょうど昼食用にピザを焼こうとしていたのだ。オーヴンを250度に温めている最中に、ペンキ屋さんがインターフォンを押したというわけだ。私は連れ合いのモトさんに、「250度になったらピーと合図が鳴るから、そしたら私を呼んで」と言ってきた。

 

 玄関から諸葛菜の紫色の花が咲き乱れる細道を門へと向かうと、ペンキ屋さんは私を見るなりポケットからマスクを出してかけた。コロナのために、こんな田舎町の人の少ない場所でもこういう習慣が身につきつつある。散歩中でも知り合いに会うと、マスクをかけて2メートル以上離れてお喋りをする。だから私もポケットにマスクを入れている。それで私もマスクを出してかけたりするうちに、話を打ち切れない雰囲気ができてしまった。

 

 ペンキ屋さんに手入れしたい個所を見せて話しながらも、台所が気になる。オーヴンに入れるピザは準備してあるが、250度に温まったら鉄板ごとオーヴンに入れるという、それだけのことがもうモトさんには頼めないのだ。モトさんの記憶力は、ここのところ急速に衰えている気がする。皆がこれほど怖がっているコロナのことでさえ、忘れてしまう。テレビの国会中継でも、皆がマスクしているのを不審に思うらしく、「東京は風邪が流行しているのかな」などとつぶやいたりする。だからオーヴンにピザを入れて焼き時間を8分にセットする、というだけのことがもう無理なのだ。果たして250度になったことを、無事知らせてくれるだろうか。

 

 玄関のドアが開き、モトさんが叫ぶ。「おおい、ピーと鳴ったよ」。モトさんは食いしん坊で、しかもピザは大好きだから、待ち遠しさのあまり合図音に気持ちが集中していたのだろう。私はペンキ屋さんを庭に待たせたまま台所へと走る。オーヴンにピザを入れて8分にセットし、また庭へと走って戻る。走りながら娘に言われたことを思い出す。「ママ、走っちゃダメ。この距離を走っても30秒の差もないでしょ。それよりころんだら大変だよ」。

 

 で、ペンキ屋さんにはやっと、「今日はこれくらいしか話はできない、今ちょうど手が離せない料理をしているから」と切り出した。いきなり来たのだから、そう言って断ったっていいだろう。するとペンキ屋さんは、「では金曜日に来てもいいか」と言い出した。この辺の人にしては珍しい押しの強さだ。だが彼が重ねて言ったのは、こんなことだ。「金曜日には定期検査で病院に行くことになっているから、その帰りに寄りたい。私も後期高齢者なものですから」

 

 昼食に焼きあがったピザを食べながら思った。そうか、あのペンキ屋さんも後期高齢者か。だとすると門のわきの枯れてしまったプルーンの大木を切ることなど、無理ではないだろうか。どの程度の仕事なら頼めるのだろう。これから暑くなるから、熱中症も心配だなあ。けど考えてみれば、私も同じような心配をされているというわけだが。 

新型コロナウィルス  3、小諸スミレ

 


 2020年4月27日、世界の新型コロナウィルス感染者は300万人に達したとニュースは伝えている。
 2月の終わりごろ、私が通っているヨガ教室で今後教室を続けられるかどうか、という話し合いがあった。そのころ長野県では松本保健所管内で1名の感染者が出た、というような状況だったと思う。遠いところの出来事だから話し合いの雰囲気もなごやかで、この町でも感染者が出たらお休みにしようか、いや隣町に出たら休もう、などと思い思いに意見を言い合った。

 

 ところが-2月28日に安倍首相がいきなり全国一斉に小中高校と特別支援学校を休校にすると言い出した。確か金曜日に発表があり、翌週の月曜日から休校というような乱暴なやり方だった。2週間ほど休校にすればそのまま春休みになるから1カ月余りの休みが続くということになった。安倍首相は休校を決めるにあたって専門家の意見は聞かなかった、私が決めたから私が責任を取ります、というようなことを言った。馬鹿なことを言うものだ、とことんいろんな人の意見を聞いてみたらいいではないか、こんな大きな政策を打って責任を取るなどできるはずがない、と思った。学校現場からは賛成も反対もほとんど声が上がらなかった。学年末にいきなり授業を打ち切られ、まだ教えなければならないことが残っている、という教師がなぜいないのだろうと、不思議だった。

 

 3月に入って、第一回目のヨガ教室はもう雰囲気ががらりと変わっていた。出席者は少なく、月の最初だから月謝を払いに来たがすぐ帰るつもりだ、という人もいた。老人施設で介護職についている人は、職場と自宅以外の場所には行くなと言われているから、もうヨガ教室にもしばらくは来ないつもりだ、と言った。私はヨガ教室を休みにするのには反対だった。何も東京に合わせることはない、ここには感染者はいないのだから様子を見ながらもう少し続けよう。この状態はたぶん長く続くから、いまから休んだりしたら自分たちの身が保たない。そんな発言をしたが、ほとんど聞き入れてくれる人はいなかった。学校が休校になったこと、それを受けて市が、市の施設を使っている民間団体にも休むよう促しているということで、皆浮足立ってしまったように見えた。

 

 4月7日、感染が広がっているので、安倍首相は感染者が多い7都府県に緊急事態宣言を出した。人々の接触を最大7割極力8割減らせば、感染は終息に向かうと、馬鹿の一つ覚えのように、同じことばかり繰り返す。5月6日までと期限を区切り、いろんな職種に休業を要請し、勤め人にはテレワークを勧め、と場当たり的な具体性に欠ける対策に見えた。

 

 4月16日には、緊急事態宣言は全国に広げられた。7都府県に緊急事態宣言が出されると、そこから他の地域へと遊びに行く人などが増え始めた。我が家の近所の懐古園でも、ちょうど桜が見ごろを迎えるとあって、遠方からの車が増えていた。市当局は市の施設は休業にしたが懐古園への入場は制限しなかった。だから受付と園内の神社社務所の女性たちだけが働いていて、遠方から来た人がリラックスした様子でマスクもせず大勢で来るのが怖いと言い出していた。そんな時期に政府は、ゴールデンウィークを控えて大都市圏から地方への人の流れを止めようとのことで、全国に緊急事態宣言を発したわけだ。

 

 人との接触を8割減らせと言われても、私はもともと人とはあまり会わない。それでも、電車に乗って友人に会いに行ったり、映画を見に行ったりができなくなっただけでも、気分はがくっと落ち込んだ。ヨガやフィットネスの教室が休んでいるのは、体にはもちろん気分にもこたえる。それで3月初めから実行しているのが、毎日1時間ほどのヨガと5000歩以上のウォーキングまたはインタバル速歩だ。ほかにも太陽を浴びて体を動かすことも心掛けている。おかげで今年は庭がだいぶきれいになった。最近ではこれにくわえて、30分ほどの気功も取り入れた。ラジオ体操などもやってみたが、気功や八段錦の方が私には合っているようだ。

 

 というわけで、近ごろは夕方4時に家を出て、好きなコースを歩く。懐古園へは入れないが、どの道を通っても人にはほとんど出会わない。だから勝手気ままに景色や花を楽しみつつ歩いたり走ったりする。コースの最後の方で駅に立ち寄ることも多い。駅だとさすがに数人の人を見かける。それに待合室に無人の野菜売り場があるのだって、自家製野菜が並べられている。ここは寒いから野菜はまだまだ品薄だが、山菜類やサニーレタス、ホウレンソウなどをちょこっと買うのは楽しみだ。

 

 昨日のこと、駅に向かって歩いていると、年配の小柄な女性がかがみこんでは何かを拾っているようすだ。摘み草にしてはヘンだ。いくらなんでも駅周辺は人や車が多いのだから。そう思って近づきながら見てみると、彼女は小さいスミレの花の周りの雑草をむしっているのだった。この町には在来種で小諸スミレというのがある。花の色は濃い紫で、葉は細長い円形。全体に小ぶりな愛らしい花なのだが、なぜか舗道の敷石の隙間とか、砂利道の石の間というような条件の悪そうなところによく咲く。

 

「スミレはどうしても草に負けちゃうから、せっかく咲いているものを絶やしたくなくてね」と言いながら、彼女は休みなく手を動かしていた。

小海線で妹のところへ行った帰りなものだから、鎌も何も持っていないけれどちょっとだけでも草を取っておこうと思ってね」と言う彼女のわきには、なるほど大きめの買い物袋が二つ置かれている。

 

 このあたりの人は、こんなふうにとても花を大事にする。花や野菜を身近で育てて知らぬ間にじっくりと観察し、すると愛情もわくのだろう。自分の庭でなくても、ふと手を出して花をいたわる姿をたびたび目にする。いま心を慰めてくれるのはこんな風景かもしれない。新型コロナウィルスの流行が広がり、命の危険を感じる日々。じっと自然に寄り添って、この嵐の過ぎるのを待つしかない。

新型コロナウィルス 2.地震とピータン

 

 

 2020年4月20日月曜日早暁。なんとなく目が覚めて、この日にかぎってなぜか枕元に置いていたスマホに手を伸ばし時間を確かめた。4時23分だった。もうひと眠りできるなと思うより早く、そこにあったフェイスブックに投稿された中国語の文章が目に飛び込んだ。

「すごい揺れ。地震だ!!」とある。急いでフェイスブックに移動すると、夜明け前というのにもう反応する人がいた。

震源は安平(アンピン)」とコメントされている。

 

 

 地震情報の地図まで添付されていた。びっくりして詳細を確かめるよりも早く、台南にいる友人にメッセージを送った。入力が簡単な英語で「大丈夫?アンピンで大きな地震があったとか」と書いた。アンピンは、いわば台南の郊外の海岸地帯で古い城跡などもあり、台南の友人と数回訪れたこともある。

 

 

 寝なおしたあとで朝食を食べながら、毎朝恒例の国際ニュースに耳を傾ける。このところはもっぱら新型ウィルス関連の情報ばかりだ。台湾のニュースは、その国際政治上の位置を反映していつも少なめだが、今日も台南の地震はおろか、コロナ関係の報道もまったくなしだ。けれども最近では、新型コロナウィルスの感染拡大で大変な目にあっている少数者にも目が向き始めている。生活困窮者、住居のない人、天災で避難を強いられて感染が急速に拡大する危険な避難場所に身を寄せるしかない人たち。それでも地震の報道がないということは、被害は大したことがなかったということか、と自分の気持ちをなだめてみる。

 

 だがやはり気になって仕方がない。地震後の混乱のさなかだったら迷惑だろうな、と遠慮する気持ちを捨てて、昼前についに台南の友人に電話してみた。すると何回も、

「え?何のこと?」と訊き返され、その挙句アハハ、と笑われた。「ああ、ぼくなんか気がつかないくらい小さい地震だったよ」と。

 

 

 それならよかったと胸をなでおろすと、横から友人の妻が割り込んで話し始めたのは、やはりコロナウィルスのことだった。台湾は新型コロナウィルス対策は見事にやってのけたと、世界的に高評価を受けている。昨年末に早くも武漢で原因不明の肺炎が発生したことを注視し、中国湖北省から来る人たちを徹底的に検査して水際で封じ込めを行った。2月の春節のころには、台湾での感染者は1人だけという状況にもかかわらず、もう学校を一時休校にして感染予防対策を行った。もし感染拡大によって再び休校になった場合に備えてオンライン授業の準備までしたというから驚きだ。

 

 体温測定や消毒を徹底させ、マスクも全体にいきわたるようシステムを整え、いまではウィルスに注意しつつも安心して生活できているようだ。それが可能だった一番の理由は、それぞれの分野の優秀な専門家が閣僚に就任しているからだという。毎日、日本の厚生大臣にあたる保健福祉部長が記者会見を行い、さまざまな情報の周知徹底を図ると同時に、人々の意見や提言を幅広く集めている。先週ごろ聞いた話では感染者は300人台。すべて感染経路が追跡できているとのことだった。

 

 台湾に行くたびに思うが、やはり中国の存在は非常に身近に感じる。特に仕事で中国とつながりのある人などは、日本でいえば東京・福岡あるいは東京・大阪間ぐらいの感覚で中国大陸と行き来しているように見える。その台湾で感染をこの程度に抑えているのはまさに称賛に値するだろう。

 

 ところで、電話の向こうで友人の妻が意気込んで話すところによれば、海軍で感染者が21人出たという。彼らは数日前に下船して各地に散ってしまったが、その軍艦の乗組員が300人以上、その他の軍関係の接触者を入れるとその倍ぐらいの人数の検査が必要な状況らしい。

 

 だが日本と比べればそれでもまだ深刻さの度合いは低いように思われる。感染者は全国で1万人を超え、東京でも累計が3000人を超えたと最近言っていたが、日本は検査数自体が極めて少ないからたぶん実数はこの10倍、いや100倍か、などという推測も専門家からさえ出ている。しかも検査して感染が確認された人々も、その7割近くがもう感染経路がまったくわからなくなっているという。つまりたぶん市中に感染者がたくさんいるというわけだ。

 

 話がどんどん深刻になって止まらなくなるのを見かねた友人が横から割り込み、続きの話は夜にしよう、と言ってくれた。今夜ラインで電話を入れるよ、と言って電話は切れた。そして夜。律儀な性格を反映して、友人は9時ちょうどに電話をしてきた。そして気がつけば、2時間半もおしゃべりをした。はじめはやはりもっぱらコロナウィルスの話だった。

 

 気が滅入るので私が意識的に話をそらしていった。話しているうちに友人が、年寄りたちのコミューンをつくるのはどうだろうなどと言い出した。のんびりと暮らしながら、できなくなってきたことを互いに補い合えるような生活ができるといいよね、と。

 

 話はそれからそれへとそれていき、最後のころにはこんな話になった。
「そうだ、ほらキミの好きな台南のクッキーが、いま3箱も手元にあるんだよ。あげようか?」
「うれしい、あれならいつでも大歓迎」
「それに、最近小さい店で作っている、ものすごくおいしいピータンをみつけたんだ」
「え? ピータン、大好き。ここでは手に入らないから」
「じゃあ、ピータンの匂いが漏れないように、クッキーの真ん中に入れて送ってあげるよ」
「ありがとう。楽しみ」
「コロナのせいで、郵便物が滞っているかもしれないから、いま台湾から小包を送ったら、どれくらいで日本につくか、明日問い合わせてみて。もし一カ月以内で届くようなら送ってあげるから」
 やさしい友人に感謝だ。

 

 ちなみにピータンは、皮蛋。アヒルの卵を加工したものだ。卵に塩、石灰、木炭、茶の煮出し汁、粘土などを混ぜて塗り、もみ殻をまぶして甕(かめ)に入れ密封、半月から数か月熟成・発酵させるのだと聞いたことがある。外側のもみ殻を洗い落として卵の殻をむくと、白身は茶色の半透明に透き通っている。白身も黄身もチーズのような濃厚な味わいがある。発酵食品特有のクセのある匂いを嫌う人も多いようだが、私は大好きだ。そういえば、このところだいぶ長い間食べてないなあ。

 

新型コロナウィルス 1.ユリノキ

 


 2020年4月16日、テレビのニュースが、新型コロナウィルス感染者が世界で200万人を超えたと伝えた。この一週間で倍に増えたというから恐ろしいことだ。
 世界の感染者の4分の1が、アメリカで発生している。いま、アメリカは感染者も死者も世界で一番多い国になっている。世界で一番豊かな国が、いくつかの国がなんとか抑え込んだ新型コロナウィルスに太刀打ちできずにいるというのは、何とも皮肉な現象だと思う。とはいえ、アメリカでの感染者や死者の人口比率を見ると、アフリカ系やヒスパニック系が高いというから、やはりどうしても貧しい人たちにしわ寄せがいってしまうわけだ。生活の根幹を支える肉体労働、交通関係やごみ処理などは、想像するだにリスクは高そうだ。アメリカのなかでも死者も感染者も多く苦闘しているのがニューヨークだという。ブルックリンに住む友人ラシャードは、無事だろうか。彼がいま何の仕事をしているかは知らないが、テレワークができる職種ではなさそうな気がするから心配だ。


 私が住む長野県の小さい町にも、新型コロナウィルスはひたひたと忍び寄っている。いつの間にか長野県内の感染者数も今日の時点で38人ぐらいになってしまった。松本、佐久、長野、上田、そして諏訪や木曽にまで広がりつつあるようだ。幸いこの町には、まだ感染者は出ていない。だからそれほど緊張もせずにスーパーに買い物にも行ける。混雑する日曜日は避けているが、今日も人出はだいぶ多かった。


 コロナのことを忘れさえすれば、いまは春爛漫。近くの公園でも桜は満開だが、見物客は少なくひっそりとしている。恒例になっている地面にシートを敷いて宴会をするのは、禁止になっている。この時期にはいつもだと駐車場が満杯になり、我が家の周りはぎっしり駐車違反の車で埋まる。今年はそれもない。そしていつも通りなのは庭の花々だ。梅、レンギョウ、椿、桜、雪柳と花々に彩られ、足元では仏の座、タンポポ諸葛菜水仙、スミレと、まさに色とりどりだ。なかでも私が注意深く観察しているものがある。花も葉もまだつけてはいない、20センチ足らずのユリノキの幼木だ。まわりのイヌフグリの花を手でわきによけ、ユリノキの写真を撮って、娘にネットでに送った。

 

 娘と話したいことは、コロナのことだ。娘が無事かどうか、そればかりが気になる。けれどそれを書きはじめると、どんどん深刻な内容になってしまう。だからあえて触れない。このユリノキの幼木は、我が家の近くで伐採されてしまった4本のユリノキの大木の子供だ。近所にやけにきれい好きな人がいて、落ち葉が汚くていやだと大木を惜しげもなく切り倒した。その場所は市の所有地なのだが、その男がたまたま区長をしていて、強引に事を運び切り倒してしまった。伐採に気づいて、私は家から飛び出して区長と口論までしたのだが、大木は無残に切り倒された。

 

 私は悔しくてたまらず、その後何年も春になると大木の切り株の周りを観察し、実生の幼木を探した。やっと見つけたものもうまく育てるのは難しかった。いろんな人に尋ねた挙句、幼木をまず鉢に植えて注意深く育て、しばらくのちに地面に植えるという方法を採った。何回かの失敗を経て、昨年はやっと3本の幼木を鉢で育て、いまは地面に植えた小さい木が、我が庭のあちこちで育っている。てっぺんの芽は、まだ固く閉じたままだ。あと1,2週間もすれば、あの半纏のような形の小さい葉が、姿を見せてくれることだろう。


 無事に新型コロナウィルスの感染が終息して、何年後かに大きく育ったユリノキを見たいものだと切実に思う。

「母と娘はなぜこじれるのか」斉藤環 対談集

 

 斉藤環精神科医だが、母娘問題は特殊だと痛感しているという。父息子、母息子、父娘などとは全く違う難しさがあるというのだ。彼はこの問題に関する著書を出したこともあるが、それでもなお謎の部分があるという。今回はそれを解き明かそうと、女性7人とこの問題について対談したのがこの本だ。顔ぶれは漫画家の田房永子および萩尾望都、小説家の角田光代、カウンセラーの信田さよ子、家族社会学者の水無田気流といったところだ。

 

 この本を私が手に取ったのは、はっきり意識はしなかったが、私自身にやはり母娘問題は難しいという思いがあったからかもしれない。だがそう言いつつも反面で、いやそんなこともなかろうという気持ちもある。私にとっては、母親との関係はそれほど難しくはなかった。だがこれは、いまと違って昔はきょうだいが多かったから、母のエネルギーや気持ちが子供たちに分散して、ひとりに集中しなかったせいがあるかもしれない。母は気の合う長女とは、ショッピングや会食を楽しんでいたらしい。だが私とは、そういうことをしたことはない。私とはほんわりと楽しい時間を持つことはできないと、母は感じていたのだろうし、私の方もそうだった。だが母は、それ以外のちょっと面倒なことや、新聞を読んで気になったことなどで、私に時折電話や手紙をくれた。私が本を出すと、いまから思えばずいぶんと気配りしつつ、自分の意見や感想を何らかの形で伝えてくれた。そして私と娘との関係はどうかと言えば、難しいと言えないこともないが、他の人間関係だって結構難しいと私は感じているというのが、正直なところだ。

 

 だが、この本を読んでみてよかったと思うことはいくつかあった。それは斉藤環が、さすがに臨床家でもあるせいで、非常に巧みにそれぞれの対談者から彼女らの母娘問題、主として母親と自分との関係を聞きだしていることだ。もちろん対談相手は母娘問題にまつわる作品を発表したり、それに関連する仕事についているわけだから、早くからこの問題に気づいていたことになる。だからこそとも言えるが、ほんとうにさまざまな母親がいることが分かる。ものすごく強権的な母親もいれば、とんでもない理不尽を押し付ける母親もいる。子供にソフトボールを叩き込んだというおもしろい母親もいる。私は、母親としては自信がないほうだが、こういうのを読むとなんだか少し安心できる。けれど一方で当然のことながら、母親との関係はそれぞれの人にやはり大きい影を落としているから、それを思えば粛然とさせられる。

 

 もうひとつよかったと思うことがある。それは、母娘問題といえどもやはり社会や時代背景に影響されていることを明確に意識させられたことだ。それは先に書いた子供の数によって、親子関係がだいぶ変化したこともその一例だろう。斉藤環は日本の家族の特殊性も指摘している。家族のなかで妻と夫の対関係がきちんと成り立っておらず、そのために親子関係が家族のなかの主軸になってしまうというのだ。たいていの場合父親は疎外されている。対談者の一人は、自分と母親が確執を抱えて日々取っ組み合いをしていたころ、その横を父は黙って通るだけだったと、ウソのような体験を明かしている。けれど、現象としてそれほど極端ではなくても、そういう感じの父親というのが身に覚えがあるという人は少なくないと私も思う。またべつの対談者の一人は、斉藤環の言う日本の家族の特殊性に対して、西洋の家族の例をこう話している。西洋では子供が生まれたあとも家族のなかの主軸は夫婦関係で、子供にはお前はこの家の王様ではないのだと教え込むという。これは日本で家族関係や親子関係を考える上では示唆に富む指摘だ。自分の親子関係を考える上でも、絡まった糸を解きほぐすきっかけになりそうだ。

 

 よく分からなかったこともある。それは斉藤環が母と娘の関係が特殊で難しい理由として身体性という言葉で語っていることだ。つまり母娘の関係が特殊で難しいのは、母と娘が同じ女性の身体を持っているせいだと言っている点だ。彼によれば、男性はほとんど自分の身体を意識させられることがないという。それに引き換え、女性は常に自分の身体を意識させられる。それゆえに母と娘のあいだには、ときに濃密すぎる、あるいは反発を呼ぶ関係が生まれてしまう、ということのようだ。この問題に関しては、私はいまのところ保留するしかない。これについてはあまり考えたことがなかったし、私も、たぶん娘も、自分の身体を厄介と思うことはあっても、どちらかと言えば楽しんでいるように思えるからだ。私たちはスポーツの経験はまるで違っていて、私はスポーツが嫌いで苦手、娘は体を動かすことが大好きでどんなスポーツもよくできた。だがいまは、二人ともが地球のこちらと反対側で、日々時間を見つけてはヨガなどにいそしんでいるのだから、不思議なものだ。

 

 で、いろいろ考えてふと思いあたったことがある。私の母は私との関係をどう思っていたのだろう、私の娘は私との関係をどう思っているのだろう。どちらかと言えば、あまり聞いてみたくはないというのが本音だ。ということは、やはり母娘問題はかなり難しいということだろうか。

 新型コロナウィルス感染者が、世界で100万人を超えた日に記す。

映画『アラバマ物語』 

 


 新型コロナウィルス感染がひろがっている。いまや感染の中心はヨーロッパだ。全世界で感染者は40万人。WHOはパンデミックを宣言し、ついでパンデミック加速中の警告を発した。高齢者は感染したら重症になりやすいということなので、私も用心して家にいる時間が増える。そんなわけで、テレビで映画を見た。『アラバマ物語』(ロバート・マリガン監督 1962年 アメリカ)だ。実はこの映画は何回か見ている。だが今回見てみて、いい映画だなあと思った。

 

 舞台は1930年代のアラバマ州の田舎町。父と小学生の息子と入学したばかりの妹という家族の物語だ。母は亡くなり、黒人のお手伝いさんがいる。いまはアフリカ系アメリカ人という言い方が定着しているが、この時代はまさに黒人に対する残酷な暴力がまかり通っていた。その頃の田舎町の出来事が、成人した娘のスカウトの思い出として語られていく。

 

 父親は田舎町の弁護士だ。子供たちは父親をアティカスと名前で呼ぶ。「なぜ、父さんと呼ばないの」と訊かれて、息子のジェムは「ずっとそう呼んでいる」と言っている。そんな開明的な家族なのだ。子供たちはまわりの森や田園を元気いっぱいに駆け回る。夜になればあたりは濃い闇に包まれ、不思議さと怖さがいっぱいだ。すぐ近所には全く姿を見せないブーという人が住んでいて、おどろおどろしい噂話も聞こえてくる。だがジェムとスカウトは、ブーを恐れつつも、親しみを感じてもいる。家の前の木のうろに、ブーは時折プレゼントを置いておいてくれるのだ。いつのものとも分からぬメダル、クレヨン、木彫りの人形、といったものだ。そんな子供ならではの不思議な体験は、私のなかにも懐かしい感情を呼び起こす。

 

 町のはずれには、黒人たちの住む貧しい住宅がならんでいる。黒人青年トムは、レイプの冤罪で裁判にかけられている。アティカスはその青年の弁護を引き受け、そのために白人たちから「黒人びいき」と目されて激しい攻撃を受ける。ジェムとスカウトは、アティカスに止められているにもかかわらず、好奇心いっぱいに警察署にも裁判所にも押しかけてじっと事の推移を見守る。トムは裁判のなりゆきに絶望して逃亡し射殺されてしまう。それでもなお差別主義者の白人たちは、憎しみをアティカスばかりか子供たちにまで向ける。子供たちが夜道で襲われ危機一髪に陥ったとき、彼らを救ったのは、それまで姿を見せたことのないブーだった。

 

 モノクロの画面でつづられていく子供時代の話に、胸が痛くなるような郷愁を誘われた。それはたぶん、私のいまの状況と無縁ではない。新型コロナウィルスの感染者や、それが引き起こした肺炎による死者が、日々うなぎ上りに増えていく。いつ自分の身辺にまで迫ってくるかも分からない。中国武漢でこの新型コロナウィルスが発生した昨年末から今年にかけては、多くの人が中国に冷笑の目を向けていたはずだ。武漢では突貫工事で病院が建てられたが、それは野戦病院さながらにベッドがずらりと並べられたバラックだった。だがそれとおなじ光景が、いまやヨーロッパ各国やアメリカに広がっている。これがアフリカに広がったら、間違いなくもっと多くの人命が日々失われていくのだろう。

 

 私たちは物質的な豊かさをどんどん増してきた。けれどいったんこの小さなウィルスにとりつかれ丸裸にされてみれば、自分たちの手ではマスクひとつ、つくれない状態に陥っていた。このパンデミックがおさまったとき、私たちが始めるべき暮らしとは、どんなものなのだろう。こんなときに、モノクロの1930年代を懐かしむのは無意味だ。だが私は、どこか根本を変えて、以前とは違うなごやかな暮らしを模索したいと思う。