『ストーナー』を読む   新型コロナウィルスの日々

 


 2020年7月13日。4,5日前から東京では感染者が連日200人を超えている。昨夜遅く見たニュースでは、家庭内感染で生後2か月の乳児が感染し、幼稚園や保育園でも集団感染が発生しているという。この近くでも軽井沢で1人感染者が出た。30代男性で東京と軽井沢に自宅を持ち6月初めから数回往復していた。6日に都内の友人宅で4人で会食をした際に感染した模様。濃厚接触者の検査を実施中。
 不安材料はいくらでもある。不安に陥らないようにするには、ニュースに目を閉じるしかない。どうなっていくことだろう。

 

 こんな日常と全く違う心持を味わいたくて小説を読む。『ある一生』ローベルト・ゼーターラー著、『三つ編み』レティシア・コロンバニ著などだ。
ストーナー』ジョン・エドワード・ウィリアムズ著、がとくべつにおもしろかった。しかしなぜおもしろかったのだろうと、読後何日間もたびたび考えている。平凡な男の一生をたんたんとつづっただけの作品なのだ。

 

 主人公ウィリアム・ストーナーは、ミズーリ大学で英文学を教えるしがない助教授だった。貧しい農家に生まれて、子供のときから一貫して両親の農作業を手伝い、成績がよかったためにミズーリ大学で農業を学ぶことを勧められた。大学に入ったのは1910年、19歳のときだった。入学後は遠い親戚の家に寄宿し、下宿代代わりに農作業を課されていた。
 ある日、英文学の授業で深い感銘を受け、両親には相談もなしに専攻を文学に変えた。それからは図書館にこもり読書づけになる。文学に魅了され、ぐいぐいとあらたな作品や領域へと入り込んでいくさまがよくわかる。講師になって若手の仲間とのつきあいもでき、3人で楽しく語り明かすようになった。第一次世界大戦が勃発。仲間の2人は志願して従軍する。愛国心もあるし、その後の出世に有利という理由もある。だがストーナーには、そのような感情はまったくなく、そのまま学究の徒としての生活を持続した。
 そんなストーナーも、目くるめくような恋に落ちる。自分の働き続けた武骨な手とはそぐわないほどの、ほっそりとした女性だ。だがストーナーはまっすぐ突き進んで彼女との結婚を果たす。娘が生まれる。しかし結婚生活は幸福とは言えなかった。なぜか心が通い合わない二人のさまが、簡潔な描写だが妙にリアルだ。
 ストーナーは熱心に授業を進める。そんなある日、講師で彼の講義を聴講していた女性と恋に落ちる。家では妻に疎まれていたこともあり、彼は頻繁に彼女の下宿を訪れ、二人は熱い恋のさなかにそれぞれの研究成果を実らせていく。不思議とその間に妻との関係も穏やかな落ち着いたものになった。けれども聴講生との関係はしだいに噂にもなり、それがストーナーに好意を持っていない同僚に利用され、ストーナーは窮地に陥る。聴講生はストーナーにも告げず、ある逢瀬の直後に黙って大学に辞表を出し遠くへ去った。
 その後のストーナーは、研究に打ち込むよりは授業に熱を込めて取り組むようになった。遠くへ去った聴講生の消息は数年ものちに一度きり、発表された論文で知っただけだ。素晴らしい彼女らしい論文。献辞にストーナーのイニシャルが記されていた。ストーナーは中世文学の研究で、知る人ぞ知る論文を残しはしたが、助教授のまま定年を迎え、ちょうどそのころに癌の発症をかかえて身を引いた。彼はそれほど長くない自宅療養を経てこの世を去った。

 

 分厚い本だったが、一度も読み返すこともなく、こうして筋を追いなおしてみた。それで何がおもしろかったのだろう、とやはり自分に問いかけずにはいられない。ここには生きるということの本質が描かれているのかもしれない。人は生まれる場所を選べない。その場になんとか馴染んで生きていく人もいるが、その場を自分の身からもぎ離して、他の場所で生きようとする人もいる。いずれにしても生じるであろう日々の葛藤や軋轢は、本人にとっては日々の闘いだが、実はほんの些細な出来事なのだろう。私はどのようにして生を終えることになるのだろうか。