運転をやめさせる  新型コロナウィルスの日々

 


 2020年6月29日。梅雨の合間の貴重な晴天。明日からはまた雨が続くとのこと。散歩したり窓から眺めたりと青空を楽しんだが、ひどく蒸し暑い日でもあった。この日、世界で新型コロナウィルス感染者が1000万人を超え、死者は50万人を超えたという。驚くべき数字だが、そのうえ感染者の4分の1はアメリカというから、これもまた興味深いことだ。


 連れ合いのモトさんは、この暑さのなか2時を過ぎたころ出かけて行った。セイユーへビールや酒を買いに行くという。近ごろでは車での行先は3か所ぐらいになっているから、あまりうるさく気をつけろなどと言わなくなっていた。ところがモトさんはすぐに戻ってきた。そして梅酒をつくるために梅の実のヘタを取っていた私のところへ来て、「車の前のところが、なんか壊れちゃったみたいだがどうしよう」と言う。「ちょっと待ってて、いま仕事中。一段落してから行くから」と私は振り向きもせずに答えた。何かと言えば「どうしよう」とやってくるモトさんに、いちいちきちんと答えていては身がもたない。


 梅を大きな瓶に入れ、氷砂糖を入れて焼酎を注ぐ。重い瓶を食品庫へ運び、棚の一番下の薄暗い場所に押し込む。それから庭に出て駐車場に行ってみた。すると前のバンパーの右側が垂れ下がって地面につかんばかり。そしてバンパーの上にある正面の排気口前の飾りがストンと落ちてしまっている。どうやら車をバックさせて道路に出ようとして右前を門柱に引っ掛け、そのまま強引に動かしたため大きく破損したと見える。


 我が家の駐車場は、植木屋などが4トントラックを入れたりするくらいのスペースがある。いままでも門柱で少しこすったりしたことはあったが、こんなのは初めてだ。門柱に接触したとき止まれば問題がなかったものを、なぜそうしなかったのか。だが今そんなことを言ってはいられない。


 車検その他でいつも世話になっている地元のディーラーに電話をすると、運悪く休みだった。留守電のメッセージが「車の故障の場合はJAFまたは保険会社に電話をしてください」と言っていたので、保険会社に電話をした。その日のうちに、保険会社から派遣された警備会社が車の状況を見に来た。翌日にはディーラーとも連絡が取れ、言われるままに保険会社に連絡して、レッカー車で事故車をディーラーまで運んでもらった。その翌日には、こちらが説明した事故状況と車の損傷具合に矛盾がないからと保険金の話がまとまった。全損扱いになるのだという。車は自己負担はあるものの修理してもらうことで決着した。修理完了までには予想外に時間がかかりそうで、車のない1週間あまりを過ごすことになった。

 

 そんなこんなのあわただしかった数日間、モトさんは私から見れば暢気に過ごしていた。夕飯の支度をしている最中に保険会社やディーラーや関連の業者から矢継ぎ早に電話が入り、私があたふたしていても、モトさんは早々とワインなど飲み始めている。朝からいくつかの車関連の用事がたてこみ、ほっと一息ついたら、モトさんはお腹がすいたとラーメンなどつくり始めている。「キミも食べる?」などと言うけれど、モトさんのつくる、ただ煮ただけの粗末なラーメンなど食べる気がしない。あののんびりさかげんに、何回怒りが爆発しかけたことか。


 モトさんには、もう車を運転しないよう申し渡した。修理代の自己負担分も伝えて金を用意しておくように言った。「もの入りだなあ」と嘆くモトさんを、「自分も他人も傷つけず、この程度ですんだことを幸いと思ったらどうだ」と慰めるのも私の役だ。実際、運転をやめるいいきっかけだったと思う。


 あれから3日ぐらいたっただろうか。一日に数回モトさんはこんなことを私に訊く。「うちの車は、いまどこにあるの?」「べつに修理なんかしなくても、手でぎゅっと押し込んだら運転できたんじゃないかな」「あの車はいったい、どんなことがあったんだっけ?」「あの車は、誰がどうして、いまどうなっているの?」。私は「うるさい!」と怒鳴りそうなのを必死でこらえる。今朝など、新聞を取りに行って帰ってきたモトさんはこんなことを言った。「あのさあ、うちの車がないんだけど、どうしたんだろう」。私はもう、むっつり顔を決め込んで何も返事をしない。そのことで胸がチクリと痛む。けれども無言が最善の策だといまのところは思っている。