同級生を訪ねる    新型コロナウィルスの日々

 


 2020年7月20日、東京では連日新規のコロナウィルス感染者が200人を超え、大阪、名古屋、福岡など都市部の感染者はすべて増加傾向。ピークと言われた4月の感染者数を超えるのは明らかになりつつある。それだけでも気が重いが、政府の無策ぶりがそれに追い打ちをかける。

 

 新型コロナウィルスは感染力が強く、そのうえ感染していても無症状の例がとくに若者に多いことから、当初からPCR検査を増やして陽性者を隔離するのが肝要だと言われている。だが政府はいまだにそれを実行に移せないでいる。そのくせ無用な布マスクを全戸に2枚ずつ配布などという、それが政府のやることかと思うようなくだらないことで税金を無駄遣いする。全国民に一律10万円を給付する際にも、何年も前に莫大な予算をつぎ込んで始めた国民総背番号制マイナンバー制度がまったく役立たずで、結局地方自治体が手作業で配布業務をやるはめになり、大変な労力と時間を要した。挙げていけば嫌になるほど、政府の施策はことごとく失敗している。

 

 そのうえこのところ大不評なのがGoToキャンペーンなるもので、コロナ流行のせいで疲弊してしまった観光業を助けようと旅行に補助金を出す制度だ。コロナ流行再燃が恐れられているいま、政府は8月実施の予定を前倒ししてまで7月22日から始めることを決めた。怪しいなと思っていたらやはり、このキャンペーンの受託団体が自民党の大物二階幹事長と菅官房長官に4500万円とかの政治献金をしていたことが、週刊文春にすっぱ抜かれた。政府は火事場泥棒みたいにコロナ騒ぎのさなかに私腹を肥やす連中の集まりみたいだ。だがいずれこれで都市部のウィルスが地方へばらまかれていくのだろう。ほんとうに恐ろしいことだ。

 

 7月20日は、天気予報では曇り一時雨だったのが、朝から空は晴れ上がり、蒸し暑い一日になるだろうと予想された。ふだん私は自分が電話嫌いなせいか、なかなか人に電話することができない。相手がいま何をしているか、邪魔にならないかと過度に気にするクセがあるのだ。だがこの日、私は常になく素早く友人に電話をし、強引に彼女の家に行くことを決めた。彼女は高校の同級生、つまり半世紀以上の付き合いだが、実際には卒業後してきたことはまったく違うため、会った回数は指折り数えられるくらい少ない。それでも会いたいと思い、何十年ぶりに会ってもいきなり悩み事を話せる数少ない相手だ。彼女はいま隣町でほぼ一人暮らしだ。ほぼ、というのは、車で20分ほどの隣村に夫がやはり一人暮らしをしていて、お互いにたまに訪れて泊まったりなどしているようだからだ。それでも彼女の家へ行けば、たいていはしんと静かな家の中に彼女と二人だけで心置きなくおしゃべりができる。

 

 電車で20分、友人が車で迎えに行くと言ってくれたのを断り、歩いて行くことにした。一見遠そうだが、近道を覚えたいまでは私の足なら12,3分で彼女の家に着く。ところが今回はどうやら曲がり角を一つ間違えたらしい。確かに彼女の家の近くにいるはずなのに、一向に近づかない。これ以上進むとたぶん遠ざかってしまうだろうと思い、眼科医の大きな看板の前から電話をした。すると友人は「分かった、すぐ行くから待っていて」と言う。

 

 友人を待ちながら思い出したことがある。今年10歳年上の友だちから頂いた年賀状だ。こんな文面だった。「人生最後の一人旅で、沖縄に一泊旅行をしました。南城市にある”胃袋”という変わった名前のレストランで、美味しいものを食べてきました。ホテルを出ると、自分の部屋に戻るのに何度も迷子になりました。”惚け”、始まったようでございます。でも、まだ仕事は続けています。もう少し続けられるかな、と思いながら・・」

 

 眼科医の看板のわきで暑い日差しを帽子で遮りながら友人の迎えを待つうちに、憂鬱になってきた。惚けが始まったのだろうか。すると私を呼ぶ声が聞こえた。思わぬ方角から友人が現れ、私に手を振っている。通りを渡って友人に合流し、並んで歩きながらこの10歳年上の友だちからの年賀状の話をした。すると友人はこう言った。「この辺りは昔は田んぼで、あぜ道がそのまま通り道になったらしいの。だからくねくねと曲がる細道がたくさんあって、しかも花や木に囲まれた同じような家が並んでいるでしょ。私も引っ越してきたばかりはよく迷って、自分の居場所がわからず気がおかしくなったのかと思ったりしたのよ」

 

 なんだか、こんな些細なやりとりで、ほっとする。慰めが欲しかったのだろうか、と思う。実は妙に切羽詰まった思いで無理やり友人に会いに来たのは、こんなことがあったからだ。いま我が家には私の娘が滞在中だ。こんなふうにコロナウィルスの感染者が世界で1500万人などと報じられているいま、なるべく動かずに安全に過ごしてほしいと私は思うのだが、娘はイギリスに行くチャンスを狙っている。仕事や友人が待っているのだ。心配な気持ちを抑えながら娘と話していると、娘がこんなことを言ったのだ。「コロナウィルスの流行で、もしまたロックダウンや自粛生活をしなければならなくなったら、私はロンドンにいて、あの友人たちと過ごしたい」

 

 それで私も思った。そうだ、私も次の自粛生活に備えなければ。心穏やかに過ごせる方法を見つけておかなければ。そう思ったからと言って、なぜこの同級生に会いに来たか。それはこうした小さい慰めをいくつかもらえる相手だから、ということではないか。私は実は、コロナウィルスの流行が始まったとき、なんだか余命宣告を受けたような気分に陥った。そしてそれはいまも続いている。コロナウィルス収束には1年か2年を要するだろう、と言われている。若い人たちはその先を考えているだろうが、70代半ばを過ぎた私にはその後の人生を設計することは至難だ。その話をするとこの同い年の友人はこう言った。「ムシの知らせというのはあるらしいからね。だったら気になっていることを少し片づけたらどう?」。その通りだ、と少し気持ちが落ち着く。こういうときに上っ面の慰めなど口にしないのが彼女だ。

 

 けれども私はと言えば、彼女になにをしてあげられるというのだろう。彼女の手作りの昼食をごちそうになり、帰ると言って立ち上がると、彼女が運動がてらと言いながら駅まで送ってくれた。私の早足に付き合った彼女は駅に着くとマスクにまで汗をにじませていた。その彼女に別れを告げてまだ日が高い駅前に残したまま、私は駅の階段を駆け上り、電車に飛び乗って帰ってきたのだ。きっとそのうち、また会いに行きたくなる。そのときには、いまより切羽詰まった気持ちが和らいでいるよう望んでいるのだが。