遺失物管理所(ジークフリード・レンツ著) 届けられたさまざまな忘れ物 それらが紡ぐ物語

    

 


 近ごろ小説を読む機会が減ったような気がする。理由のひとつは新型コロナウィルスの感染拡大に伴って、新たに知らなければならないことが増えたことだ。この感染症からどうやって身を守るか、これによって社会はどう変化していくか。
 とりわけ、ほとんど信用ならぬ政府を擁しているこの国では、政府の打つ手にもいちいち懐疑的にならざるを得ない。彼らの施策を受け入れてよいものか、彼らは果たして正確な情報を流しているのか。そんなことに耳目をそばだてていると、気の休まる暇がない。


 だが、目の前のことに追われ続けてカサカサと乾いてしまった心を潤したくなると、小説に手が伸びる。こういうときは嗅覚が鋭敏になっているらしい。予備知識がほとんどないままに選んだ小説が、思わぬ感動をもたらしてくれたりするのも、こんなときだ。ドイツの小説「遺失物管理所」は、駅の片隅にある駅や列車で発見された忘れ物を管理する部署を舞台に、忘れ物にまつわる人間模様や人々の心の動きをじっくりと描き出している。一市民として心豊かに生きるとはどういうことか、ゆったりと思いを巡らさせてくれた。


 著者のジークフリード・レンツは1926年生まれ。出生地は現在はポーランド領になっている東プロイセンのリュクだという。読み終えてからこのことを知り、私がこの作品に惹かれた理由の一端は、こんなところにもあるのかも知れないと思った。レンツとは歳も境遇もかけ離れているとはいえ、私にも戦争にまつわるさまざまで生まれ故郷を離れた経緯がある。居ながらにして国境をまたぎ、言語のバリアを超えた記憶。それが人間観察にも生かされていることを私は「遺失物管理所」のなかで感じ取った。私はといえば、いまはコロナ禍で自由に旅もできないせいもあって、心のうちにふくれあがる郷愁にしばしば手を焼いている。手の届かぬ遠くの何かを求める気持ちは、似たようなやるせなさを抱えた人の心と共鳴するような気がする。


「遺失物管理所」で、心をとらえて離さないのはヘンリーという24歳の青年だ。彼は名の知れた家柄の出で、身内には鉄道会社の重鎮もいるから、出世に有利な条件のよい職に就くのは容易なはずだ。だが彼は、そうしようとはしない。「日々が穏やかで楽しければそれでいい」からだ。そんな彼が配属されたのが、出世コースとは縁のない人の吹きだまりのような遺失物管理所だ。日々の業務はといえば、あちこちから届けられた忘れ物を整理して管理し、持ち主が名乗り出れば本当に持ち主であるかどうかを確認して引き渡す、というものだ。持ち主が現れない忘れ物は、定期的に行われるオークションで売られていく。


 心根の優しいヘンリーは、ささいな忘れ物にもいろいろと想像を巡らせて持ち主の物語を見出す。だからどんなものも粗末には扱わない。彼の同僚たちも、それぞれにこの職場にいる意味を心に秘めていて、忘れ物に対してそれなりに心を尽くす善意の人たちである。ある日は、列車の乗り換え時に慌てて笛を置き忘れた少女が、それを探しにやってくる。婚約指輪を洗面所にうっかり忘れてしまった女性が、それを探しに来る。身辺にあったもの、思い出の詰まったものを失くして悲しみに打ちひしがれている人たちが、それを再び手にしたときの喜びを、ヘンリーは暖かく見守る。


 忘れ物を通じて親密なつきあいが生まれることもある。列車から落とされたカバンが遺失物管理所に届けられた。その中身を確認するうちに持ち主が特定でき、ヘンリーはそれを持ち主の滞在先のホテルに届けた。持ち主はサマラ出身のパシュクール人の博士で、優秀さを認められてこの町の工科大学に招かれたのだった。異国の地を踏んだばかりの博士は、学校で習得した律儀なドイツ語を話し、ヘンリーとしだいに親しくなっていく。彼の姉のバーバラともつきあいができ、互いに好意を抱くようにさえなる。だが時として露見する、市井の人々からの差別的な言辞、侮蔑的な態度に、博士はひどく傷つき、黙って姿を消してしまう。


 ヘンリーは職場の同僚たちとも、少しずつしだいに心を通わせていく。すぐ身近にいる年上の女性に好意を抱き、さまざまな手でつきあいを深めようする。彼女には声優の夫がいて、暴走族の弟がいることが分かってくる。ヘンリーは彼女を熱心に旅に誘うが、彼女の方はヘンリーに好感を抱きつつも、一定の距離以上にヘンリーを近づけないよう努めているふうだ。同僚には定年を間近に控え、高齢の認知症の父親の面倒を見ている男性もいる。彼らと働く職場で、独りで暮らす高層アパートで、ヘンリーは静かな日々を望んでいるが、それでも時には暴力に敢然と立ち向かわなければならない局面に追い詰められたりもする。そんなヘンリーの日々を、そして周囲にいる家族や同僚とのこまやかな感情のやり取りを、ありふれた事物をスケッチするようなさりげないやり方で、じっくりと描き出しているのがこの作品のいちばんの美点だろう。心のうちにじわじわと、生きることを肯定する気持ちが湧いてきた。