江文也
*その1「ブンちゃんのパート」の謎 昔のことを調べていると、時折奇跡のようなことが起きる。そこからうまく知りたい事にたどり着ける場合もあれば、またすぐ行き止まってしまうこともあるが。数年前にも面白いことがあった。 江文也(こう・ぶんや)という…
つい先頃、ネットで海外の新聞を読んでいるうちに「1915年のアメリカ」という新聞記事をみつけた。ざっと見ただけで驚くことばかりだった。たとえば、車のガソリンはドラッグストアで売っていた、という。そして車の制限速度は時速10マイル、つまり時速16キ…
1938年、江文也、妻の乃ぶ、3歳の長女・純子は一家で北京で暮らしはじめた。北京は江文也にとっては、よき仕事場であったようだ。北京師範大学教授の職があることで、経済的な安定が得られた。それになにより興味の尽きない伝統音楽の研究の場でもあった。…
江文也は1936年6月、26歳のときはじめて中国に旅をした。そのころさまざまな助言を与えてくれていたロシアの作曲家アレクサンドル・チェレプニンに勧められてのことだったという。チェレプニンはこの前後4年間ぐらい、中国や日本などアジアを歴訪してアジ…
13歳の江文也は、兄と二人ではるばる廈門から上田にやってきた。上田駅に到着したのは1923年9月7日のことだ。その翌日、寄宿先の山崎あき宅あたりを散歩したようすを、江文也は日記に書き残している。山崎宅の位置は特定できないが、その後の生活から推し…
13歳の江文也少年は、兄と2人で遠い上田の地にやってきて、着なれぬ絣の筒袖の着物を着せられて、尋常小学校の生徒になった。小柄で大人しい子供であったが、学校に1台だけのピアノを弾くことを許されていたという。これは、同じ尋常小学校6年の女子組に…
台湾で『珈琲時光』という映画がつくられたのは、2004年のことだ。1980年代から台湾映画を引っ張ってきた侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督の作品だ。このなかでストーリーの伏線として江文也の名が出てきたために、日本では、長らく忘れられていた江文也が…
1923年9月7日、江文也は兄と二人で上田駅に降り立った。江文也はこのとき13歳。ほぼ一月前の8月4日に母を亡くし、その3週間後には廈門の父の元を離れ、12日間の長旅の末に上田に到着したのだった。江兄弟は上田で、父の知人である山崎あき宅に身を寄せ…
昨年の秋のはじめ、私は近所の友人と一緒に車で30分ほどの上田市にある太郎山に登った。彼女が本格的な登山の経験があると聞いて、太郎山に行こうと誘ったのは私だ。市民に愛されるこの小さい山には、もう半世紀も前、上田の高校にかよっていたころ級友と登…