呆けと向き合う

自分の記憶力や体力の衰えに向き合うのは、つらいことだ。

つれあいのそれに向き合うのは、つらくもあるが悲しみが大きい。

 

今年は畑仕事にだいぶ力を入れた。意図したわけでもなく、偶然の重なりでそうなったのだ。歩いて10分ほどの鉄道の駅には野菜売り場がある。毎朝獲れたての野菜が持ち寄られて、旬の野菜が山をなす。新鮮でしかも安い。散歩がてら立ち寄っては何かを買ってくる。

 

あるとき、モチキビを買った。小さい袋入りで400円か500円だった。炊くために計ってみたらちょうど4合だったから、この野菜売り場では高い商品ということになる。近頃の雑穀の人気、でありながらそれほど売れるものでもなく、商品にするまでにかかる手間を考えれば合理的な値段ではあるが。

 

モチキビを米に混ぜて炊く人は多いようだが、私はこれだけを炊いてみた。とてもおいしかった。米がそれほど好きではなく、なくても不便ではないぐらいの常食者である私は、キビの方が私の好みにはあっているかもしれない、と思った。米を作るのはムリだが、キビなら作れるのではないか、とも思った。

 

それで、キビとアワの種を買った。蒔くには新たに土を耕さなければならず手を捏ねていたところ、ちょうどその時期に娘が現れた。物珍しさも手伝ったのだろう、キビとアワ蒔こうとしていた場所を、あっという間に耕してくれた。それで今年は粟畑と黍畑が増えた。とこんなふうにして、昨年よりは作物が増えた。昨年ミニトマトのなりがとてもよかったものだから、今年は大玉のトマトにも挑戦してミニトマトと大玉トマトをそれぞれ2本苗を植えた。

 

素人仕事のわが畑も、ありがたいことに時期が来れば野菜ができる。毎日見回りに行き、キウリ、ナス、インゲン、ケール、トマトなどは少々ではあれ必ず収穫がある。獲りたてはおいしい。これはわが畑から、と必ず注釈をつけて、夕飯の食卓で楽しむ。

 

このところ夏風邪で寝込んだものだから、2日だけつれあいに畑の見回りを頼んだ。キウリやトマトを収穫してきてくれた。大きいのを見落としてはいないか、トマトの周りは狸が入らないようにしている柵を、抜いたり倒したりしていないか。いろいろ心配は尽きないが、まあ自分では行かれないのだから仕方がない。

 

ところが、である。私が何とか畑に行かれるようになったら、わがつれあいは、でかけるたびに駅の野菜売り場で何かを買ってくるようになった。私が作っていないものならいい。作っているトマトやキウリなどを買ってくるのだ。なぜなのだろう。おいしそうな野菜を目にすると、瞬間的に私の畑のことなど忘れて手が出てしまうのだろうか。彼の食欲はわかる。買い物の楽しみもわかる。それと私の畑の関連が切れてしまっているのだろう。文句は言いたくない。ひたすら悲しい。