プレドニゾロンの怪  新型コロナウィルスの日々

 


 新型コロナウィルスの流行は、私たちに思わぬ経験をさせ、思わぬものを見せてくれる。たとえば新聞やテレビの報道によれば、クリニックや病院が思わぬ経営危機に見舞われているという。患者が激減しているのだそうだ。コロナに感染するのを恐れて受診を控える人が続出し、患者数が例年の半分以下どころか20パーセントほどにまで落ち込んだりしているという。だが、ということは、普段は病院に行く必要がない人まで行っている、ということにならないのだろうか。


 我が家でも病院にまつわって、思わぬことが起きた。きっかけは、連れ合いのモトさんの左手中指第二関節が腫れたことだ。私から見れば、彼が過去20年ほどのあいだに時折患った乾癬性関節炎で、ステロイド剤を適切に服用すれば治るもののはずだった。ところがモトさんはこのところ急速に記憶力が衰えていて、一緒に暮らしている私でさえそこまでとは思っていなかったのだが、自分が悩まされてきた持病さえ思い出せなくなっているようだ。指関節が腫れたときは行きつけの皮膚科へ行けと私が勧めたのだが、なぜかそこから整形外科に回されてしまった。しかも担当した整形外科医は、皮膚科から乾癬の病歴を伝えられ、レントゲンも撮り、血液検査もしたというのに、見当違いの抗生物質など処方した。そんなこんなで初期の治療に手間取っているうちに、モトさんはなんと手指の不自由にくわえて椅子から立ち上がるのにさえ難儀するようになってしまったのだ。


 仕方なくその後は私が診察に付き添うことにした。病院玄関では検温、手指の消毒、2週間以内に東京などに行っていないか、東京から来た人に会っていないかなど細かくチェックして入館が許される。私は担当整形外科医にモトさんの病歴を説明した。彼は改めて皮膚科からの紹介状をチェックし、ふてくされ顔で抗生物質をやめてステロイド剤の処方に切り替えた。だがその医者は、なにか質問をしてもろくに答えてもくれない。それで私が病院に交渉して担当医を代えてもらった。


 新しい担当医は、説明がていねいで、モトさんの病状を探っていく手順も明快だった。担当医が変わって最初の診察のとき、私はモトさんの手指の腫れと椅子から立ち上がれなくなっていることに関連はあるか、と尋ねた。医者はモトさんの動作を観察し、日ごろの生活状態を尋ねて、「運動不足ですね」と断言した。実際、新型コロナウィルス以降は外出の機会がめっきり減っている。医者は親切に、大腿筋を強化する簡単な体操まで教えてくれたのだが、モトさんは一向にやろうとはしなかった。


 モトさんの病状はなかなか好転の兆しを見せない。リウマチの可能性を調べたり、手の関節のMRI検査などを進めるうちにも体調は悪化していった。MRI検査のために9時に病院に行くことになっていた日などは、最悪だった。前夜にモトさんは浴槽から出られずに私を呼んだそうだ。その前日にも同様のことがあったので、風呂場から叫んでも聞こえないからブザーを押すよう教えたのだが、モトさんはそれも覚えていなかった。やっと風呂場から這い出てきたモトさんは、湯あたりしたのぼせ顔でそのままベッドに倒れこんだ。しかも翌朝、9時に病院へ行くために目覚ましをかけていた私は、かすかなうめき声で起こされた。早暁4時半、モトさんがベッドから起き上がれなくなり助けを呼んでいたのだ。


 そんな具合だからMRI検査当日、私は寝不足で不機嫌のまま、ぐずぐずしているモトさんを叱咤して朝食を食べさせ、着替えをさせ、引きずるように車に乗せて病院へ向かった。総合受付とMRI検査室の受付をすませて、検査室前の椅子にモトさんを座らせると、私は病院を出た。片づけたい用事がいくつかあったのだ。


 ここ2週間ほど、モトさんは歩行不如意で、そのうえ着替え、食事、物の受け渡しなど些細なことまで手助けが必要になっていた。ただでさえ新型コロナウィルスのせいで、台所まわりの消毒や食糧調達などには手間がかかるようになっている。そのうえモトさんが運動不足で脚が弱っていると指摘されたので、6月になって3ヶ月ぶりに再開した筋トレ教室へと彼を追い立て、同じ場所でやっていたパーソナルトレーニングなるものにも、嫌がるモトさんを引きずるようにして連れて行き参加させた。そうこうするうちに私の用事がたまってしまっていたのだ。私は病院近くの図書館と郵便局を走りまわり用事をすませた。図書館では調べ物のために借りていた本を12冊返却して、新たに2冊借りた。郵便局では4通の書簡類を発送した。


 病院のMRI検査室にもどると、モトさんはすでに検査中だった。ずいぶん時間がかかるなあと思いながら椅子に掛けて待つうちに、検査室から大声が漏れてきた。検査技師が何やら指示を与えているらしい。とそのうち、女性の検査技師がドアから飛び出てきて、「○○さんのおうちの方、いらっしゃいますか」と声を張り上げた。私のことだ。手を挙げて近づくと彼女は、「どうもこちらの言うことが通じないのです」と困り切った顔で訴えた。


 検査室に入ると、大声を出していたと思しき長身の男の検査技師が、「動かないよう指示しても動いてしまうので、何回もやり直してやっと画像が撮れました」と説明した。それでモトさんは、と見ると、ズボンを検査着に着替えた姿で無表情のままウロウロしている。とりあえず着替え用ロッカーの横の椅子に腰掛けさせ、ズボンに履き替えさせた。モトさんは心細そうで、いま自分がどこで何をしているのかが分からないようすだった。それでもモトさんがおぼつかない動作で着替えを始めると、女性の検査技師がほっとした顔をして、「整形外科に事情は伝えておきましたが、さっきまではこちらの言うことを全然理解してくれなくて」と言う。


 よちよち歩きになってしまったモトさんを60メートルぐらい歩かせて、整形外科にたどり着いた。診察室前の椅子に腰を下ろし、私はモトさんに「どこが痛いの?」と訊いてみた。するとモトさんは、ぼんやりした目でしばらく私を見て言葉を絞り出すように、「80キロ」と答えた。私は背中にぞわっと寒気をおぼえた。本当に言葉が通じないではないか。


 診察室に入っても、モトさんはぼんやりしていた。先回は、へえと思うような気の利いた軽口をたたいたりなどもしていたのだが。今回はモトさんは、何を訊かれてもろくに答えず、もう帰りたいとばかりに手や体を子供のようにもじもじ動かしている。仕方がないので私がかわりに近況を話した。モトさんは6月に入ってから筋トレ教室に2回、パーソナルトレーニングに1回行って、だいぶ立ち座りは容易になった。ところが昨日は近所で不幸があったため私が朝から忙しく、それをいいことにモトさんは筋トレ教室をさぼった。するとたちまちまた立ち上がるのが難儀になった。浴槽から出たり、ベッドから起き上がるのまでできないときがある、と。


 すると医者はモトさんに、まっすぐ医者の方に向くよう指示した。モトさんがぐずぐずした動作でやっと姿勢を変えると、医者はモトさんの両脚の太もも、両肩を手で押した。モトさんは、「痛い」と大げさな声を上げた。リウマチ性多発筋痛症の可能性が高い、と医者は言った。「昨日筋トレ教室に行かなかったのは、さぼったのではなく具合が悪かったんでしょう」とモトさんの弁解までしてくれた。それで薬はステロイド剤のプレドニゾロンを増量することにした。いままでの倍量の5mg4錠を4日間、その後3錠を3日間、2錠を2日間と減らしていく。したがって服薬の管理は私がするよう、あらためて指示された。その間の血糖値の変化を見るために、服用前の今日と1週間後に採血することも指示された。それで快癒する場合もあるし、そうでなければリウマチの薬を使うことになる、とのことだった。


 診察を終えて採血室へ行き、もう昼時なので近くでビーフカレーを食べ、などしているあいだのモトさんときたら、もう歩けないと半べその状態だった。そのくせ、ビーフカレーを待ちながらショーケースのケーキに目をやり、「あれを一つ食べようか」などと言い出したりもした。思えば元気なく足を引きずって歩いていた時期も、食欲は一貫して旺盛だった。


 帰宅して医者の指示通り今日の分のプレドニゾロンを飲み、昼寝をした。その晩もモトさんは早寝してぐっすり眠ったようすだった。翌朝のモトさんは、打って変わって明るい顔で、色つやまでよくなって起きてきた。そのまた翌日は、朝食をすませるや髪を切ってくれと言い出した。たぶん喫茶店にでもでかけるつもりなのだ。あそこのママのやよいさんに、モトさんはちょっとお熱なのだ。私はちょうどテレビで恒例のニュース解説を見ていたので、「これが終わってから」と言った。するとモトさんは、「あと何分かかるの?」と聞き返す。急ぐことでもないのに自分勝手に図々しく振舞うのまで復活してしまった。


 ところが、である。プレドニゾロンを飲み始めて4日目、その日は21日の日曜日だった。病院の帰りに寄った行きつけの調剤薬局では、定められた錠数を日付を書いた小袋に入れてくれた。これだと自分で錠剤を数える必要もなく、日付通りに服用させればいいのでだいぶ楽だ。ところがこの日、21日という袋が見当たらなくなっていた。初めからなかったのか、どこかに落としでもしたのか。探しても見つからないので薬局に問い合わせの電話をしたが、日曜日で休みらしい。それで病院に電話すると薬剤科につないでくれ、先日出された処方箋をチェックして、21日に飲む錠数を確認してくれた。それでとりあえず、この日は別の日の分を取り出して服用させ、あと足りない分は明日にでも薬局に事情を話して調達することにした。


 翌月曜日、昨日留守電にメッセージを残したせいで、薬局から電話があった。21日分だけないということは、調剤の手順から考えてあり得ない、と言う。私もそう思う。だが不足分については、その後我が家に以前の飲み残しがみつかったので、それで補充することにすると伝え、電話を切った。が、そこでふと気になってモトさんの椅子の近くにある屑籠をのぞいてみた。するとなんと、中身を取り出して捨てられた薬袋、21日と書かれたのがあるではないか。それと重なるように20日という袋もあったところからすると、どうやらモトさんが、20日か21日に2日分飲んでしまった可能性が高い。


 私は恐る恐るモトさんのようすをうかがう。薬の飲みすぎの悪影響はでていないだろうか。けれど見る限りではモトさんは、量を増やしてプレドニゾロンを服用し始めてから、まるで生まれ変わったように元気になっている。着替え時に腕を後ろに回せなかったのも治った。椅子から立ち上がるときも、よいしょなどと言わなくなった。歩くとき左足をひきずるのも目立たなくなった。でそのぶん、また夕方4時からビールを飲むのまで復活し、そのために飲酒をめぐる私との口論も再開してしまったのだが。プレドニゾロンというのは、こんなに効くのか。次回診察時の血液検査で血糖値にさしたる異常がなければ、これでよしということになるのだろうか。服用を間違えたかもしれないことを、医者に話すべきだろうか。それにしても体操もしないですいすい歩けるまでに復活したモトさんの体のことを、医者はなんと説明してくれるだろう。