「母と娘はなぜこじれるのか」斉藤環 対談集

 

 斉藤環精神科医だが、母娘問題は特殊だと痛感しているという。父息子、母息子、父娘などとは全く違う難しさがあるというのだ。彼はこの問題に関する著書を出したこともあるが、それでもなお謎の部分があるという。今回はそれを解き明かそうと、女性7人とこの問題について対談したのがこの本だ。顔ぶれは漫画家の田房永子および萩尾望都、小説家の角田光代、カウンセラーの信田さよ子、家族社会学者の水無田気流といったところだ。

 

 この本を私が手に取ったのは、はっきり意識はしなかったが、私自身にやはり母娘問題は難しいという思いがあったからかもしれない。だがそう言いつつも反面で、いやそんなこともなかろうという気持ちもある。私にとっては、母親との関係はそれほど難しくはなかった。だがこれは、いまと違って昔はきょうだいが多かったから、母のエネルギーや気持ちが子供たちに分散して、ひとりに集中しなかったせいがあるかもしれない。母は気の合う長女とは、ショッピングや会食を楽しんでいたらしい。だが私とは、そういうことをしたことはない。私とはほんわりと楽しい時間を持つことはできないと、母は感じていたのだろうし、私の方もそうだった。だが母は、それ以外のちょっと面倒なことや、新聞を読んで気になったことなどで、私に時折電話や手紙をくれた。私が本を出すと、いまから思えばずいぶんと気配りしつつ、自分の意見や感想を何らかの形で伝えてくれた。そして私と娘との関係はどうかと言えば、難しいと言えないこともないが、他の人間関係だって結構難しいと私は感じているというのが、正直なところだ。

 

 だが、この本を読んでみてよかったと思うことはいくつかあった。それは斉藤環が、さすがに臨床家でもあるせいで、非常に巧みにそれぞれの対談者から彼女らの母娘問題、主として母親と自分との関係を聞きだしていることだ。もちろん対談相手は母娘問題にまつわる作品を発表したり、それに関連する仕事についているわけだから、早くからこの問題に気づいていたことになる。だからこそとも言えるが、ほんとうにさまざまな母親がいることが分かる。ものすごく強権的な母親もいれば、とんでもない理不尽を押し付ける母親もいる。子供にソフトボールを叩き込んだというおもしろい母親もいる。私は、母親としては自信がないほうだが、こういうのを読むとなんだか少し安心できる。けれど一方で当然のことながら、母親との関係はそれぞれの人にやはり大きい影を落としているから、それを思えば粛然とさせられる。

 

 もうひとつよかったと思うことがある。それは、母娘問題といえどもやはり社会や時代背景に影響されていることを明確に意識させられたことだ。それは先に書いた子供の数によって、親子関係がだいぶ変化したこともその一例だろう。斉藤環は日本の家族の特殊性も指摘している。家族のなかで妻と夫の対関係がきちんと成り立っておらず、そのために親子関係が家族のなかの主軸になってしまうというのだ。たいていの場合父親は疎外されている。対談者の一人は、自分と母親が確執を抱えて日々取っ組み合いをしていたころ、その横を父は黙って通るだけだったと、ウソのような体験を明かしている。けれど、現象としてそれほど極端ではなくても、そういう感じの父親というのが身に覚えがあるという人は少なくないと私も思う。またべつの対談者の一人は、斉藤環の言う日本の家族の特殊性に対して、西洋の家族の例をこう話している。西洋では子供が生まれたあとも家族のなかの主軸は夫婦関係で、子供にはお前はこの家の王様ではないのだと教え込むという。これは日本で家族関係や親子関係を考える上では示唆に富む指摘だ。自分の親子関係を考える上でも、絡まった糸を解きほぐすきっかけになりそうだ。

 

 よく分からなかったこともある。それは斉藤環が母と娘の関係が特殊で難しい理由として身体性という言葉で語っていることだ。つまり母娘の関係が特殊で難しいのは、母と娘が同じ女性の身体を持っているせいだと言っている点だ。彼によれば、男性はほとんど自分の身体を意識させられることがないという。それに引き換え、女性は常に自分の身体を意識させられる。それゆえに母と娘のあいだには、ときに濃密すぎる、あるいは反発を呼ぶ関係が生まれてしまう、ということのようだ。この問題に関しては、私はいまのところ保留するしかない。これについてはあまり考えたことがなかったし、私も、たぶん娘も、自分の身体を厄介と思うことはあっても、どちらかと言えば楽しんでいるように思えるからだ。私たちはスポーツの経験はまるで違っていて、私はスポーツが嫌いで苦手、娘は体を動かすことが大好きでどんなスポーツもよくできた。だがいまは、二人ともが地球のこちらと反対側で、日々時間を見つけてはヨガなどにいそしんでいるのだから、不思議なものだ。

 

 で、いろいろ考えてふと思いあたったことがある。私の母は私との関係をどう思っていたのだろう、私の娘は私との関係をどう思っているのだろう。どちらかと言えば、あまり聞いてみたくはないというのが本音だ。ということは、やはり母娘問題はかなり難しいということだろうか。

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