クコ(枸杞)を摘む

 

 


 畑の雑草が丈高く茂ってしまったので、朝から畑へ出かけた。この夏は、あまりの暑さに畑仕事はあきらめたような格好だった。だから畑では雑草の穂がゆらゆらと揺れていて、その陰に野菜が隠れているというありさまだ。


 それでも野菜は実るのだ。もちろん手をかけて立派に育てられたものとは比較にもならないだろうが、雑草をかき分けるとナスが2個、ミニトマトもたくさんなっている。食べてみたら、やはりあの夏の盛りのキリっとした甘みはもうない。空心菜も1週間に一度は食卓にのぼるくらい獲れる。今日はほかにも小ぶりのビーツを4個、それにクコ(枸杞)の実を一皿ぐらい収穫した。


 そこでクコのまわりの雑草を抜くのに集中してみた。クコはこのあたりでは、川原や藪のなかに自生している場合が多いという。ならば雑草を除去する必要もなく、自力でたくましく広がってくれそうな気もするが、そのあたりはなんとも自信がない。とりあえずは、クコの収穫量が増えるといいなあと願っている、というところだ。


 台湾へ行くと、おいしいスープにはたいていクコの実が入っている。女性の冷え性には特に効き目があると、友人が言っていた。彼女も機会あるごとにクコの実の入った料理を食べるそうだ。ほかにもさまざまな効用があり栄養価も高いようだが、私はきれいな赤い色、そしてほんのりとした甘みが気に入っている。


 日本でクコの実を手に入れようとすると、中華食材の売り場で乾燥した小袋入りのを買うしかない。台湾の市場などで山盛りにして売っているのを思い出しながら、日本では惜しみつつ少しだけ使うことになる。だから私の畑のクコのさしあたりの目標は、乾燥する手間をかけられるくらいの収穫量だ。


 思えばこの畑のクコにだって、それなりの歴史がある。あるとき近くの道の駅で、おじさんが何やらひょろりとさえない姿の苗木らしきものを売っているのが目に入った。「これなんですか」と尋ねると、なんと「クコ」との答えだった。たったの100円だった。大喜びで買い求める私を、おじさんは不審に思ったらしい。「これがなんだか知っているのか」と私に訊いた。「知ってます、赤い実がなるのでしょう」と言うと、ならばいいという感じで鉢を手渡してくれた。


 おじさんはついでに、こんな話も聞かせてくれた。クコはこの辺では実は厄介ものなのだ。繁殖力が強いからたちまち藪を作ってしまう。どんどん退治しないことには、他の花や作物がやられてしまう。しかも茎にとげがあるから、伐採するにも手間がかかる。実はこのクコも、畑のすみにしつこく生えてくるものだから、少しは金にでもならないかと思って、野菜と一緒に持ってきたのだ。「買ってくれる人がいるとは、思わなかったがねえ」とおじさんは笑った。


 おじさんには厄介ものでも、私にはたった100円で偶然手に入れた宝物みたいなものだ。鼻歌まじりで畑のすみに植えた。するとそれを目ざとく見つけた隣の畑のおじさんが、「それは、お宅の庭にでも植えたほうがいい」と言った。だが我が庭は大木が多くて日当たりが悪いのだ。せっかく見つけたクコだもの、日当たりのよいところで育てたいではないか。


 いま思えば、隣の畑のおじさんは、藪のようにはびこられたらかなわない、と思ったのだろう。実際、クコはしんなりとしなった枝が地面に触れると、すぐにそこから根を生やす。たちまち藪になる、という言葉が実感できる。だから、隣にはみ出さないようにだけは気をつけているのだが、それにしては実の収穫量は増えないなあ。どこに問題があるのだろうか。よし、なんとか工夫して、来年は収穫量を増やしてやろう。そして日々の食材の中に取り入れてやろう。