フィリピン  子供と年寄りにやさしい国 

 


 8月初旬に、10日足らずだがフィリピンを旅した。
 こんな短期間の旅で、行った先のことを語るなど、おこがましいことだ。そうは思うのだが、7700もの島から成るこの国を島から島へと移動しつつ感じたことがあるので、それを書いてみたい。というのも、ここはほんとうに子供と年寄りにやさしいところだと感じたからだ。


 フィリピンの島々を行き来するのは、船か飛行機だ。船旅はなかなかいいと勧めてくれた人もいたが、なにしろ時間がかかりすぎるので、やはり移動は飛行機を選んだ。たくさんの島があるから、人々は日常の交通手段として飛行機を使っているのだろう。国内便のセスナ機に乗る飛行場は、まるで大型バスターミナルのような雰囲気だ。体育館みたいな感じの広い待合室の前方には改札口さながらのゲートがあり、そこを通ると広い飛行場を背景に何機かのセスナ機が並んでいる。ゲートから飛行機まで歩き、乗降口にかけてある梯子を上って飛行機に乗るというわけだ。 


 まずマニラからレイテ島へ向かうことになった。さすがマニラだけあって、発着便数も搭乗者数も非常に多い。そのうえマニラの交通渋滞はひどいから、私もそうだが皆早めに空港に向かうことになる。それで必然的に待ち時間も長くなる。同じような事情を抱えた人々で待合室は混みあっていて、よくも皆いらいらもせずに待っているものだと感心した。


 やっと空席をみつけてなんとか腰をおろすと、すぐそばの席で、3歳ぐらいの男の子がすさまじい声で泣き叫びだした。若い小柄な母親は辛抱強くなだめているが、なぜか坊やは泣きわめき続ける。私は母親が気の毒になって、バッグから飴玉を探し出して近づいた。見ず知らずのヘンなおばさんが、見たこともない日本の飴玉をもって声をかけたら、坊やはびっくりして泣きやんでくれるのではと期待したのだ。だが全然効果はなかった。仕方なく飴玉は母親に手渡し、私は気にしてないからねとサインを送って自分の席に戻った。私の娘も小さいころは聞かん坊で、電車の中でも店の中でもわけもわからず癇癪を起し、身のすくむ思いをよくしたものだ。考えてみればあの癇癪も、喋れるようになったらウソのようになくなったが。


 泣きわめく坊やへの私の反応が珍しかったのかもしれない。隣の女性が話しかけてきた。「どこから来たの? どこへ行くの?」からはじまり、坊やが泣いている理由を説明してくれた。待合室の小さい売店で玩具の銃を目にして、それが欲しいとせがんでいるのだという。他の人たちはいきさつを知ってか知らずか、坊やがそのうちあきらめるだろうと静観しているようすだ。あらためて見まわすと、母親に非難の目を向ける人はほとんどいないようで、母親の方も驚くほど冷静に忍耐強く子供をなだめ続けている。


 すると近くの男性が母親に、荷物を見ていてあげるからひとまわりしておいで、とでも言ったらしい。しばらくして戻ってくると、どういう風の吹き回しか、坊やは銃を買ってもらった様子もないのにケロッと泣きやんでいた。そして飛行機の出発のアナウンスを機に母親が立ちあがると、坊やは激しい泣き声の主とは思えぬはにかみ顔で、私にバイバイと手を振って飛行機へと向かっていった。この蒸し暑い不快な待合室で、あの泣きわめく声に嫌な顔ひとつ見せない人々を、私は不思議な思いで見渡した。こういうふうだったら、日本での子育てだって数倍楽なはずだ。


 さて私の搭乗時間になり、ゲートを出ると日傘用に赤い傘を手渡され20メートルほど離れたセスナ機に向かった。すると若い女性が私に近寄り、「お手伝いが必要ですか?」と声をかけた。なんのことかわからずとっさに「大丈夫です」と答えた。飛行機の梯子を登りながら、ああそうかこれを登るのに手を貸してあげようという意味だったのだと気づいた。私は日頃から運動を心掛けていて、ジョギングで3キロなら軽くはしれるのが秘かな自慢だ。それでも見かけは間違いなく老人なはずだが、日本ではこんな声をかけられたことは一度もない。そのあとも、パラワン島のコロンというところで舟に乗って美しい海を巡ったが、ガイド役の30代の男性も助手の若い青年たちも、さりげなくタイミングよく手を貸してくれた。静かな海を夢見心地で眺めながら、景色もさることながら人々の温かさが心に沁みた。


 つぎはこちらのヘマから起きたことなのだが、驚くような親切に触れた。レイテ島からセブ島に向かう飛行機の時間を勘違いして、ホテルを出たのがぎりぎりの時間だった。車が走り出したとたんに電話が鳴った。「もう全員搭乗がすみました。あなたも乗るなら、あと10分で搭乗手続きをすませてください」とのこと。運転手には気の毒なほど猛スピードで走ってもらい、空港に着くと警備員が3人待ち構えていた。そして私の荷物を全て抱えて搭乗カウンターにダッシュ。荷物検査にダッシュ。そして搭乗口を出ると、「はい、あとあそこまで全力疾走」とばかりに、出発直前のセスナ機を指さした。飛行機に向かって走る私たちに、さっき搭乗手続きをしてくれたスタッフが裏口から出てきて、満面の笑顔で手を振り、「よかったねえ、いってらっしゃい」と見送ってくれた。あきらかにこちらのミスでハラハラさせ、余分な手間をかけさせたに違いないのに、あんな笑顔で送りだしてくれる人が、ほかのどこにいるだろう。


 そして最終日。翌日の日本向けの飛行機が朝早く出発するので、空港近くに宿をとった。早めに夕飯を食べて早めに寝ようと、近くのショッピングモールへでかけた。おいしい食事をすませて宿に戻ろうとすると、交差点を一回曲がっただけの単純な道筋だったはずなのに、迷ってしまった。仕方なく何かの制服を着たおじさんに道を尋ねた。すると「これに乗りなさい」と、オートバイにサイドカーをつけたトライシクルよりもう少し乗り心地のよさそうなカートを指さした。これに乗るほど遠くはないはずだが、とは思ったが言われるままに乗り込むと、宿の真ん前でぴたっと止まってくれた。料金を聞くと、「いらない」とのこと。なんでも、このカートは老人および妊婦向けの無料サービスなのだそうだ。驚いた。日本では私と同年輩の人たちは競って若く見られるよう努力をし、その反面で年相応と思われる気遣いはあまりされたことはない。


 翌日早朝、空港のターミナル入り口で厳重なチェックを受ける。建物内には搭乗券を持つ人しか入れないので、見送りの人ともここで別れることになる。前夜から天気予報をチェックしていたが、東京には到着時間ごろ強力な台風が接近するとのことだった。だからそもそも飛行機は出るのかと危ぶみ、飛行機がキャンセルになった場合、あるいは日本到着後の交通トラブルにそなえて、いくつかの心づもりもしていた。そんなふうにちょっと緊張の心持で空港の男性スタッフをつかまえて「×××便のカウンターはどこでしょう」と訊くと、彼は「あなたは高齢者ですか?」と訊き返し、こちらの返事を待たずに高齢者専用カウンターを教えてくれた。おかげでほかのカウンター前につらなるいくつもの長い行列を尻目に、私はまったく待つこともなく手続きをすませた。


 さてもうひとつおまけだ。空港のターミナル入り口まで送ってくれた娘に、飛行機が無事出発することを伝えなければならない。娘は進行中のプロジェクトが仕上げ段階で忙しいはずだが、もし私の飛行機が出発できなければ今日一日付き合ってもいい、と言ってくれていたからだ。私は今回の旅ではSIMなしスマホを持っていて、Wifiのある場所でスカイプ通話を利用していた。ところが空港のあちこちで娘へスカイプ通話を試みたが、接続が弱くてつながらない。公衆電話をみつけたがテレホンカードが必要で、テレホンカードの売り場は近くにはないという。さあ困った。余計な心配はかけたくない。そこで搭乗口近くの椅子に腰かけていたフィリピン人女性に事情を話し、「スマホを貸してくれないか」と頼んでみた。


 その女性は気軽に承知し、娘の番号を打ち込んで私に話せとうながした。ところが移動中なのか娘は出ない。するとその女性は「じゃあメッセージを送ってあげる」と、読み上げつつ打ち込んでくれた。「あなたのお母さんが、私に連絡してくれと頼んでいます。お母さんはまもなく無事に東京へ出発します。心配しないで、とのことです」と。まもなく娘から「ありがとう」と返信があり、彼女は「確かに伝わったわよ。よかったね」と別の列に並んでいる私に、わざわざ伝えに来てくれた。
 フィリピンの人々の、やさしさに、そしておだやかさに、しばしば驚かされた旅の9日間だった。もっとこの国を知りたい、と心から思う。