ゴンちゃんが死んだ


 つれあいの記憶の衰えが気になっている。

 

 昨日、居間のすみに置いてある金魚鉢にカエルの死骸が浮かんでいた。仰向けになって四肢をひろげた無様な格好だ。
「カエルが死んでいる。こんなところで」と言うと、つれあいが、
「あ、僕が入れたんだ」と言ってティッシュペーパーでつまみ出して捨てた。

 

 生きたカエルなら、あんなところに入れられたら飛び出すだろう。もともと死んでいたカエルを入れたのだろうかと問いただすと、
「おぼえていない」と言う。

 

 この金魚鉢では、3週間ほど前に祇園祭の夜店で私が初めての金魚すくいをして手に入れた一匹の金魚を飼っていた。金魚すくいの水槽にいる金魚は、安く買いたたかれた売り物にはならない金魚だと聞いたことがあった。けれども夜店のおじさんが入れてくれた小さいビニール袋で泳いでいる金魚を見ているうちに、よし元気にしてやろう、という気がしてきた。

 

 それで祭り見物は打ち切って一人で先に帰宅した。まず金魚鉢を洗って水を入れ、庭から苔の生えた大きい軽石を拾って水中に沈めた。子供のころこうして大きい水槽に金魚やメダカをたくさん買っていたのだ。同じように金魚鉢をしつらえて、そのなかに夜店の金魚を放ってみた。

 

 金魚は、数日は石の下に潜り込んで、まるでいないみたいに静かだった。そのうちに環境に慣れたのか姿を現すようになって、なんだかはしゃいでいるような勢いで泳ぎ始めた。すると金魚すくいをしたときには気づかなかった黒い斑点が体中に現れた。金魚としては美しくはないが、大きくなったら池で泳ぐ鯉のようにかっこよくなるかもしれない、などと考えた。

 

 朝カーテンを開けるとき、
「ゴンちゃん、おはよう」と声をかけるようになった。
ゴンちゃんは、金魚の金を取って、それを黄金のゴンの読みで名付けたつもりだった。ゴンちゃんは、陽気な性格のように見えた。野性味のある丈夫な子かもしれない、と思ったりした。

 

 それが、たった3週間で突然死んでしまった。カエルの死骸を取り出したときに、ゴンちゃんは石の下に頭を突っ込んで、逆立ちのような格好をしていた。いままで見たことのない姿勢だな、とは思ったがそのままにしておいた。しばらくすると、階下からつれあいが私を呼んだ。「金魚が死んでいるよ」と。

 

 階段を駆け下りてみると。ゴンちゃんが浮かんでいる。つれあいが言うには、あまりじっとしているので石を少し動かしたら水面に浮かんできたのだとか。つれあいが、カエルと同じようにティッシュペーパーでつまもうとするのを止めて、せめてもと思いきれいな茶碗で救い上げた。そのまま庭に運んで、大木の根元を掘って埋めた。

 

 あんなに元気だったのに死んでしまったのは、つれあいが死んだカエルなどを入れたからだ。そうに違いないと思うが、彼を非難する言葉は自分の中に呑み込んでしまう。彼がカエルを入れた時の記憶がはっきりしない、と言う以上、責めても意味がないのだから。それに、死んでしまったゴンちゃんはもう蘇りはしないのだから。