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友の死

数日前、友人のkさんが1年余り前に亡くなっていたことを知った。享年65歳。勤務先で最後の1年の仕事を始めようとしていた矢先の4月に病が見つかり、3か月ほどの闘病ののちに亡くなったようだ。

 

知らせてくれたのはkさんと共通の友人のLさん。いま81歳か82歳で、彼女にとっては異国の地である日本で、留学をきっかけに住み着いて以来40年。数年前から脚がだいぶ不自由なはずだから、老いの身の一人暮らしということになる。

 

その日、めったに電話など来ない私の携帯電話に、珍しく3件の着信記録があった。1件は取りまとめを頼んでおいた会合の日取りが決定したという通知だったから、急いで了解の旨の返信をした。もう1件は、聞き取りにくい伝言メッセージで、かろうじて聞き取れたのがLさんの名前だった。しかも発信番号は、発信者不明のため私がずっと無視し続けてきた東京の電話番号だった。Lさんは、私に電話をし続け、10数回めにはじめて伝言メッセージを吹き込んでくれたのだ。

 

それでLさんに2年ぶりぐらいで電話したその電話でLさんから知らされたのが、kさんの死だった。Lさんは私がkさんと何の連絡も取っていなかったことにあきれたようすだった。kさんとは実は、2年ほど前まで職場を同じくしていた。だが私はある日突然そこを辞した。しかも私には、だがなにゆえか分からないが、あるとき知り合いときれいに関係を断ってしまう癖がある。学校を卒業したり、職場を離れたり、あるいは数年つきあった趣味のグループをやめたりすると、以後は一切の連絡を絶ってしまう。だからあの職場からも、ある日きれいに姿を消した。思い出してみれば、昼に弁当を食べながらそれなりに楽しくおしゃべりした友人などもいたのだが。2年もたたぬというのに、名前さえさだかには思い出せない。

 

そして、死についても私にはヘンな癖がある。死の受け止め方は、人それぞれ違うだろう。だが私の場合は、人が死んで悲しんだことがない。ああ、死んだのか、と思うだけだ。いちばん身近な死は、高校時代に親しかった同級生、それに母や父だが、そのひとたちのことさえやはり悲しいとは言えない、うっすらとした寂しさを感じるだけなのだ。

 

kさんは、いまどきの人らしくブログを書き残していた。どんなふうに亡くなったのか知りたくて、ブログを探し出して目を通してみた。死の3年ほど前、東北大震災に続く福島原発事故をきっかけに書き始めたらしいブログは、安保法制反対の声明で終わっていた。死の20日ほど前だ。へえ、kさんてこういう人だったのか、政治オンチかと思っていたが、と苦笑した。

 

そのなかのほんの数行が、私の心から離れない。kさんは母親と二人暮らしだったらしい。母親が数年前から認知症になって、漢字が分からなくなり、ひらがなが分からなくなり、娘たちのことも分からなくなった。そして口癖になった言葉が「私はどうしちゃったのだろう、バカになってしまった」だった。kさんは「お母さん、そんなことないよ。ぜんぶ分かっているじゃない」と言い続けたという。

 

kさんの病が発覚して以来、母親は夜床に就くと両手を組んで祈りの姿勢を取るようになった。kさんは、老いて先の分からぬ深い闇の淵に立つ母親のために、自分は祈ったことがあっただろうか、と自問している。そう、これが私の知るkさんだ。