父の遺産 フィリップ・ロス

長篇小説のなかに一行でも一言でも、そのリアルさに胸を突かれるような箇所があれば、その作品は忘れられないものになってしまう。その心に迫る場面や言葉は、読み手の状況によって変わる。数十年前から好きでよく読んでいたフィリップ・ロスだが、近頃また読んでみて、以前は気にも留めなかった箇所に妙に心を動かされている。

 

「父の遺産」は1991年に発表されたというから、ロスの58歳の時の作品ということになる。作品のなかの父は86歳。8年前に妻を亡くした後も元気で、お洒落で女性にももてていた。その父が体調を崩してついに亡くなるまでの数カ月を描きつつ、父との触れ合いのさまざまを回想している。日本語翻訳版タイトルの「遺産」は金銭的なものを想像させるが、原題"Patrimony"だと有形無形に伝承されるニュアンスがあるような気がする。

 

父はユダヤ系移民二世で、貧困の中で育ち中学を出てすぐに働き始めた。小商売などやっているうちに大手生命保険会社の職に就くことができ、ユダヤ人差別に抗いながら地道に働いて出世もした。精力的な働きぶりと記憶力の良さは、年老いてもなおしばしばその片鱗を見せる。だからこそ、父とは違って大学・大学院まで進み、いまは作家として活躍し大学の教職にも就いている息子に、父は正面切って正論を述べ立てる。

 

父は生命保険会社で精勤したせいで、その退職金や年金で充分に暮らしていけるはずだった。もともと贅沢など縁がない堅実な生活者だから、それ以上の倹約など必要ないはずであった。ところが老いが進むにつれて父は「自分のこととなるとこっちがうんざりするくらいケチになっていた」と、息子たるフィリップ・ロスは書く。その描写はつぎのように続く

 

なかでも気が滅入るのは、崇拝する『ニューヨーク・タイムズ』を買うのをやめてしまったことだ。代わりに父は、同じ建物にいる父からすれば大金を支払っている購読者から読み終えた新聞を譲ってもらうのを、一日中待っているようになった。それに妻が生きていたころから週に一回来てもらっていた家政婦を、月一回だけにしてしまった。何もすることはないから掃除ぐらい自分ですると父は言うが、家の中はこまかいところに次第に汚れが目立つようになる。そのうえ父は地下にある洗濯機・乾燥機を使う小銭まで惜しむようになった。それで自分で下着や靴下を洗い、バスルームに干している。「訪ねていくたびに、灰色っぽい、いびつに歪んだ父のパンツや靴下が、ワイヤーのハンガーにまたがって、シャワーの先やタオルラックにぶら下がっている」とロスは書く。

 

「いびつに歪んだ父のパンツや靴下」とはなんと辛辣なことか。これこそが老いかもしれない。アメリカとは生活習慣が違うからこの通りではないが、似たようなことを私もしている。タオルを擦り切れるまで使う。新しいのがあるのに、それは使おうとしない。近くの畑で芋ほりをしているのを見かけると、収穫が終わったあと出かけていき、隅に打ち捨てられたキズイモを拾ってくる。事実それは煮物やサラダやと、2、3回の料理の材料になるのだ。

 

思えば忙しく仕事をしていたころは、こういうたぐいのことはしなかった。幸いにして私もいまのところ経済的な困窮には陥っていない。それでもどんどん、フィリップ・ロスがケチだとあげつらうたぐいの行為は増えていく。それは思うに、この先収入が増えるあてはなく、有り金でどのくらいの期間の生活をまかなえばよいのかが分からないからだ。この漠とした寂しさを、父のようすをつづりながら、フィリップ・ロスは、理解ていただろうか。そしていま、この父の年齢に近づいてロスは何を思っているだろう。

 

けれど老いた私が、自分の通って来た道筋だからと言って、年下の人のことを分かっていると思うのは傲慢だ。世代差・年齢差は断絶を生まずにはいないのだ、とずっと以前の出来事を思い出した。

 

あの頃私は40代だったはずだ。娘が20歳になったとき、ああ大人になったのだと安堵し、そのとたんにスイッチが切り替わったように娘を大人扱いしだしたらしい。らしいというのも無責任な話だが、無自覚にそうなってしまったのだ。するとそれまで見逃していたさまざまが急に気になりだした。例えば、娘が何か知らないことを私に尋ねる。それを説明するついでに関連の本や新聞記事なども教えてやる。ところが娘は、一向にそれを読もうとはしない。なんで読まないんだ、そんなことを知らずに生きていくことはできないのに、と私のいらいらはつのり、しょっちゅう言い争っていた。

 

ところが、そのころ思いがけなく大学から講師の口がかかり、20歳前後の若者たちを教えることになった。大教室にぎっしり詰めかけた200人ほどの学生を目の前にしたとき、ひらめくように得心したことがあった。そうか、私の娘やこの学生たちの前には、長い長い時間が横たわっているのだ。残り時間が少なくなっている私とは、それに比べれば、私の過ごせる残り時間は少なくなっているから、時間の持つ意味が彼らとはまるで違うのだ。

 

あのときは世代差・年齢差の断絶をなんとかまたいで、娘とは決裂せずにすんだ。けれどもどうやら「老い」というのは、年齢を重ねてきた先に起きていることというだけでは語れない何かがある。どの年齢でも目の前には未知の荒野が広がっていたわけだが、とりわけいまはその荒野には深い谷があるか底なし沼があるか、はたまた切り立つ岩肌に阻まれるか、なにがあるかは分からぬように思われる。