おすそ分け

つれあいのヒデさんが水曜日恒例の筋トレに出かけたと思ったら、すぐに戻ってきた。また忘れものだろうか。でも取りに戻ったなら上等と言うべきだ。たいていは忘れたままどこかに出かけて、財布がなかったカードがなかったなどと、用事もたさずに戻ってくるのがオチだからだ。

 

ヒデさんはなんと、スイカを抱えて戻ってくると、「藤谷さんのスイカ。今持ってきてくれたんだ。けさとれたんだって」と言って玄関に置き、そのままそそくさと筋トレに行ってしまった。

 

藤谷さんは、ヒデさんが時折電話で呼び出しては喫茶店でおしゃべりしたりする数少ない友達だ。庭先に日当たりのよい割合広い畑を持っていて、さまざまな野菜を作っているとは聞いていた。そうか、スイカまで作るようになったのか、とありがたくいただいて冷蔵庫に入れた。

 

ヒデさんがでかけてしまい、私は藤谷さんと庭を眺めた。我が家の庭はたぶん藤谷さんの庭とは対照的だ。藤谷さんの家は遠くからしか見たことがないが、南側は全く障害物がないから日当たり万点だろう。それに対して我が家はと言えばこのあたりの自然林そのままの大木が鬱蒼と茂って濃い陰をつくり、陽光を好む植物は育たない。それをいいことに私は庭の手入れなどほとんどせずに、草も木もごしゃごしゃと繁茂している。藤谷さんはたぶん、性格からして、また口ぶりからして、雑草を丹念に除去しているのではないだろうか。

 

そんな木影がつづく庭をひとわたり見せたあと、わが畑にも藤谷さんを案内する。周りの畑にくらべると私の畑は雑草だらけだが、なぜか私はきれいに草を除去することにあまり意義を見出せない。しかしここでも藤谷さんは何が面白いのか、黙って丹念にみわたし、私の畑からケールとビーツを少々、勧めるままに持ち帰った。

 

夕方ふたたび畑へ行く。畑もいったんやり始めてしまうと、やはりこの時期はほんのちょっとであれ手をかけないわけにはいかない。今日収穫できるのはトマトだけだが、収穫時のものを収穫せずに地面に落としてしまったりするのはやはり惜しい。

 

そう思いつつ、雑草の始末をし始めると、これはこれでなぜか面白くてやめられなくなる。と珍しくヒデさんが顔を出した。それでヒデさんに「赤いトマトだけよ」と念を押してトマトの収穫をしてもらった。ヒデさんは意外なほどたくさんのトマトを収穫すると、私を手伝おうなどという気はさらさらなくさっさと帰って行った。

 

だいぶたってから家に戻って夕飯の支度に台所に立つと、なんと真新しいトウモロコシが3本、ごろりと調理台にころがっている。ヒデさんが畑からの帰り道に、と言っても2分もかからない道のりだが、途中にある畑から帰ろうとしていた竹田さんに「ああちょうどよかった、これ持って行ってください」と、いきなりいただいたトウモロコシだそうだ。

 

畑仕事にはおすそ分けがつきものだ。野菜は人間の口にあわせて育ってくれるわけではない。天候と野菜の育ち具合の都合で、ある日どかんとたくさん採れてしまうのだ。作っている身としては、自分が食べきれないなら、せめて誰かに食べてもらおうと、おすそ分け先を探すことになる。

 

おすそ分け先は、まずは気心知れた相手がいい。できれば野菜の作り手の気持ちまでわかる人がいい。天候の具合や栽培具合で、出来はいくらか芳しくなくても、野菜の味以外のもろもろまで味わってくれる人であれば、なおのこといい。

 

藤谷さんのスイカは、藤谷さんが言っていたとおり、甘みは少なかった。けれど水けは充分あってのどを潤すにはとてもいい。竹田さんのトウモロコシは、我が家の窓から首を出して右手を覗き見れば、育つ過程が逐一見えていた。真面目そうな竹田さんが、朝夕丹念に畑仕事を続けてできたものだ。竹田さんの畑は、プロ並みに次から次へと見事な野菜を生み出している。