読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

病の役得

夏風邪で珍しく38度もの熱を出して寝込んだ。何とか回復して8日ぶりにジョギングしたりしたのに、その日にこんどは昼食も夕食も食べてすぐに吐いてしまった。痛みも苦しみもないのに、食べ物を受け付けない。なんだろう、これはいったい、と不安にかられた。そしてこんどこそはと用心して、お粥から始めて3日がかりで普通食に戻した。そして今日、5日ぶりに朝の運動に行く。今度こそ無理はしないようにと思っていたのに、20分ほど普通の速度で歩くだけのつもりだったのに、つい40分歩いてしまった。これでどうやら日常生活に復帰、というところか。

 

で、こうなって不安から解放されたからこそ言えることなのだろうが、病の役得というのはある。ここ数日は、読書に明け暮れた。眠れるだけ寝て体を休めるのだと公言したから、もうこっちのものだ。ベッドに本を持ち込んで、読んでは眠り読んでは眠りを繰り返す。しかも今回読んだ本は面白かった。フィリップ・ロスの「父の遺産」だ。

 

周囲には小説家も含めて文筆に携わる人が少なくない。私もノンフィクションを書いてきた。だから読書といっても、その本によって、あるいは自分の現在の関心事によって、さまざまな読み方をする。だが今回ばかりは、文筆などを業とするよりずっと以前から身に覚えのある、読書の楽しみに浸りきった感じがした。これこそ、病によって普段の生活をあきらめたから得られた境地かもしれない。

 

思えばただ面白さだけを基準に読み散らした本のなかに、何冊ものフィリップ・ロスがあった。たぶん「さよならコロンバス」を読んだらとても面白いので、その後も目につくたびに読んだのではないか。「乳房になった男」「ポートノイの不満」などをよく覚えている。

 

そして今回「父の遺産」を読んでみて、ほう、これも同じフィリップ・ロスなのかと、にわかに過去に読んだものを読み返してみたくなった。著者の実体験に近いように思われるこの話を読んだら、それに比べると非現実的な話である「乳房になった男」「ポートノイの不満」などが、切実味を帯びてせまってきたのだ。

 

ところがいまの私はと言えば、食べ物を受けつけないから外出などとても無理、というていたらくだ。それなのにふらつく足で脚立にまでのぼって、本棚の奥の方を探ってみた。よく使う本が採りやすい位置にあって、若いときなじんだ小説などはあったとしても片隅に追いやられている。しかもあればまだいい。時折何かをきっかけに自分の死に備えて持ち物を減らそう、などという考えに駆られて本を処分しているから、そんなときに手放してしまったものも多い。

 

フィリップ・ロスの作品も、みつからなかった。表紙の手触りや小さな汚れまで思い出せるほど読んだ本なのに、何を思って手放したのかは思い出せない。だが思わぬことに、自分が所蔵していることさえ忘れていた「ゴーストライター」が出てきた。手についた埃を洗い流す間さえ惜しいほどわくわくして、読み始めた。正直なところ、あ、この本読んだなと思ったのは、1冊の中に4か所ぐらいしかなかった。それにしては栞が擦り切れている。いったい、私はこの本を読んだのだろうか。

 

作中人物のなかの誰それに、フィリップ・ロスの生身が感じ取れる。そのせいだろうが、奇想天外なことが起きてもどれもこれも受け入れられる。うん、こういうことってあるよね、という感じだ。子供のころみたいに時を忘れて読みふけった。

 

「父の遺産」があんなに面白かったのには、またべつの理由がありそうだ。私は病に伏した状態で読んでいたとはいえ、まだまだ自分の死に関しては切実感はない。だから作中の死んでいく父と、その世話をする息子との中間ぐらいの立場で読める。

 

この本の中で息子は、ちょっとよい息子すぎるが、だからこそたぶん読後感も悪くはないのだ。父もまた頑固一徹に自分を通して、勤勉そのものの人生を送った。その意味では、やはりちょっとよすぎる父親だ。露悪的なところがなくもないロスも、こんなふうに書くのかと、心がなごむ。

 

その父は、妻を亡くしてから妙にケチになっていく。洗濯もまとめてランドリーですればいいものを、自分で手で洗って風呂場に干したり、掃除も人に頼むのをやめて自分でやるようになり、あちこち行き届かなくなる。その父に86歳で脳腫瘍がみつかる。手術は拒否したい。だが本音ではもっともっと生きたい。どたばたとして死んでいく父を、見すえて悲しみも安堵もあきらめも何もかもの感情を書いている。だからこそフィリップ・ロスの他の作品を読み直してみようと思ったのだろう。

 

私の町の図書館は、その点はだめだが、隣町の図書館ならかなりのものがそろっている。予約を入れたから、外出できるようになったら車で取りに行ってこよう。ついでにあの閑散とした美しい駅前通りにある、和菓子も洋菓子もとてもおいしい菓子屋に寄って、お茶とケーキを味わってこよう。

 

フィリップ・ロスは、いま「父の遺産」のなかの父親ぐらいの年齢になっているはずだ。いま、どこでどうしているのだろう。彼の数人の元妻のなかのひとりが、性的な節操のなさが耐え難かったと言っているのを、どこかで読んだことがある。実物もかなりハチャメチャな面白い男なのだろうなあ。そして一面では、たぶんゴースト・ライターの中に出てくる巨匠のように、毎日ひたすらタイプライターの前に座って、文章直しをしたりしてもいるのだろうな。こんなふうに、作中人物も実人物もごちゃまぜに空想を膨らませていけるのが、楽しみだけのための読書の醍醐味だ。