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『童年往時』 日のあたる縁側で 人知れず死んだ祖母

このところ、ホウシャオシエン監督の作品「童年往時」(1985年)を、しきりに思い出している。

 

この作品は、監督の生い立ちをたどったものだ。1945年の戦争終結後、父は教育関係の役人として広東省から台湾にやってくる。台湾に来て1年ほどたったころ、父は妻子を呼び寄せた。このときホウシャオシエンは1歳ぐらいだ。

 

高雄の近くの鳳山という町で、家族は日本家屋を官舎としてあてがわれて暮らしている。父母、祖母、そして姉、兄、阿孝(アハ)と呼ばれるホウ監督、2人の弟という家族だ。

 

アハが小学生のとき、父が死ぬ。父はどうやら台湾で数年暮らして故郷に帰るつもりだったのだが、帰れるはずもない政治情勢であった。中学生のとき、母が死ぬ。母が病床にいるときさえアハは仲間とケンカに明け暮れ、母を嘆かせていたが、葬儀の席で賛美歌が流れるなかアハは号泣をおさえられない。

 

姉は結婚して家を出たので、家には祖母と4人の孫息子が残された。ある日気づくと、祖母は日のあたる縁側の畳の上でいつもの昼寝のような姿で横たわっていたが、その腕を蟻が列をなして這っていた。不審に思って見ると、祖母は死んでいた。

 

孫息子たちは、食事を作れば祖母を起こして食べさせたりもした。だが長兄は働きだしたばかり、2番目のアハは高校生、その下はまだ腕白盛りで、皆自分のことに忙しかったのだろう。葬儀屋を呼んで祖母の体を拭き着物を着替えさせてもらうと、下の始末ができなくなっていた祖母の体は、畳に触れたところがただれていた。孫息子たちは呆然と立ちつくすばかりだ。

 

住み慣れた家で、しだいに食欲も体力もなくして、孫たちの生活の物音を夢うつつのように聞きながら死んでいったであろう祖母。いまあのシーンを思い起こせば、むしろ幸せな死という感じが強い。

 

このエピソードを思い起こしたのは、最近世間を騒がせている事件のせいだ。川崎市の老人ホームで、当時21歳の男性介護職員が、80代90代の男女3人を4階や6階のベランダから投げ落として死なせてしまった。

 

介護職員に対する非難の声は当然起きる。しかし声にならない声を飲み込んでしまっている年配者は多いのではないか。それにあえて耳を澄ませばそれは、自分の力で日々の生活がまかなえなくなったとき、あるいは下の世話まで他人に頼るようになったとき、果たして自分はどのような心持ちで生きるのであろうか、ということだ。

 

だからこそ映画のなかのアハの祖母が、ごく自然に、孫息子たちをほとんど煩わせもせずに死んでいったのが、崇高にさえ思えるのだ。