珈琲時光、消された上田時代           江文也その3

 


 台湾で『珈琲時光』という映画がつくられたのは、2004年のことだ。1980年代から台湾映画を引っ張ってきた侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督の作品だ。このなかでストーリーの伏線として江文也の名が出てきたために、日本では、長らく忘れられていた江文也がやっと語られはじめた。


珈琲時光』では、主人公の日本人女性フリーライターが江文也の足跡を追っている。彼女は東京に一人住まいだが、父と継母が暮らす実家を訪ねて、台湾人の恋人の子供をみごもっていて、結婚せずひとりで産むつもりだと話したりする。彼女には、やはり東京在住の電車好きの古書店主の友人がいて、しょっちゅう電話をかけたり会ったりしている。


 彼女は古書店主に江文也に関する資料を集めてもらう。江文也作曲のピアノ曲のCDも入手してもらって古書店で聞いてみたりする。だが彼女がなぜ江文也に興味をもつのかは曖昧模糊としている。彼女の口からは江文也の経歴の断片が語られる。だがそれは江文也でなくても、たとえば日本と台湾の鉄道の歴史でも、かまわないのではないかと思われるような、ごく軽い四方山話ふうだ。彼女が台湾の取材から帰ってきたとか、台湾人の恋人がいて彼の子供を身ごもっているとかと同じ調子で、彼女の背後にある台湾の雰囲気を醸すもののひとつとして、江文也が使われているにすぎない。


 ただこの作品が台湾映画でありながら物語の舞台が日本だったこと、主役を演じたのが台湾人の父親を持つ人気歌手・一青窈(ひとと・よう)だったことなどで、日本ではかなり評判だったと聞くが。


 しかしこの作品には、公開直前に思わぬ出来事があった。映画完成後、何回ものプレス試写を経ていよいよ公開日が迫った段階で大幅な編集が行われたのだ。その結果、江文也の少年時代を追った、上田での撮影部分が一挙に削られてしまった。その理由は、監督に尋ねたことがないので分からない。だが私は、それが私の監督へのインタビューがきっかけではないかと思っている。私は一連のプレス試写が終わってしまってから、追加の試写で作品を見てインタビューをし、それから劇場公開までの短い期間のなかで、編集がされたからだ。


 実を言えば、そのころ世界で五指に入るとさえ言われるようになっていた侯孝賢監督を世界に押し出すのに、英国の映画評論家トニー・レインズにはおよばないにしても、私自身は私も一枚かんでいると自負している。私は侯監督の無名時代に彼を知り、彼の才能を評価し、1983年から実際に彼の作品を日本に紹介し続けてきた。私がかかわった小規模な映画祭などを丹念に追っていた観客は、のちに世界的な監督になった侯孝賢の作品を、彼の成長と同時進行の形で日本で見ることができた、ということになる。


 けれども日本は、映画の評価さえも独自で行おうとはしないから、すぐ隣の台湾の映画であっても、欧米のお墨付きがなければ市場には出ない。日本の配給会社が侯孝賢監督の作品を購入して配給するようになったのは、『悲情城市』(1989年)がベネチア映画祭でグランプリを受賞してからのことだった。


 さて『珈琲時光』をめぐる侯監督インタビューに、話を戻そう。試写で見たバージョンでは、上田のシーンがだいぶ入っていた。一青窈扮する主人公は、かつて宣教師メアリー・スカットが日曜学校を開いていた梅花幼稚園を訪ねて、昔の写真などを見せてもらう。昔の上田中学の面影を残す現在の上田高校なども訪ね歩く。どれも少年時代の江文也ゆかりの場所だ。しかし彼女がなぜ江文也に心惹かれるのかは、なかなか伝わってこない。そのことを私は監督に尋ねた。しつこく訊きすぎたかも知れない。


 私は惜しいと思ったのだ。あれだけ上田の人々に協力してもらい、貴重な古い写真を見せてもらったりしていながら、江文也が浮かびあがってこない。13歳の江文也が兄と二人で上田駅に降り立ったとき、何を感じたのか。新しい生活環境に立ち向かい、どのように日本に馴染んでいったのか。それは異邦人である侯孝賢監督ならばこそ、描けることではないか。ずっとあとで聞いたのだが、侯孝賢監督のロケに協力した上田フィルムコミッションは、上田という場所を把握してもらうために侯監督をまず太郎山に案内して、頂上から上田市を一望してもらったという。江文也はそこから出発して、中学生になり音楽にのめりこんでいき、やがては国策にも巻き込まれていったのだ。


 かつて侯孝賢監督は、こんな話をしたことがある。貧しさを表そうとして欠けた茶碗を写すというようなことは、ボクはしない。家の外で父親が辛い労働に従事していることを伝えるのに、そのことを子供に向かって言葉で語らせるようなことは、ボクはしない。それは人や家の風情やたたずまい全体で表現するようなことだからだ。


 公開された作品では、主人公は、江文也が東京に出てから立ち寄ったと思われる高円寺、神保町あたりの喫茶店や古書店を探し歩く。また江文也の昔の住まいに近い洗足池あたりに、80歳を過ぎた江文也の妻・江乃ぶさんに出てきてもらってさえいる。江乃ぶさんに昔のアルバムを見せてもらい、思い出話を聞かせてもらったりする。しかし主人公は、まるで街歩きの延長のようなざっくばらんさで乃ぶさんに対座し、ありきたりの相づちを打って、また東京の雑踏の中に紛れていく。


 劇場公開版で上田のシーンがなくなっていたことは、上田での撮影に協力した人から知らされた。彼は、劇場公開を待ちかねて上京し映画館に足を運んだ。すると上田のシーンがまったくないので驚き、私に電話をしてきた。私に事情など分かるはずもないが、しばらくのちに私も劇場公開バージョンをあらためて見てみた。侯孝賢監督が上田のシーンを丸ごと削ってしまったのはなぜか。たぶん彼は、江文也像が浮かび上がってこないことを認めて、江文也をもっと背後へと追いやる方法を選択したのだ。物語のずっと遠い背景とすることにしたのだ。そしてそれは侯監督の作品『珈琲時光』にとっては、正しい判断だったと思う。


 しかしそれにしても、とまだ心のわだかまりは取れない。それは江乃ぶさんのことだ。1945年の日本の敗戦によって、乃ぶさんは引きちぎられるように江文也から離れてしまった。その後半世紀あまりを経て高齢の彼女を映画のなかにまで引っ張り出したからには、いまの乃ぶさんの江文也への思いをこそ胸の底から掬い上げてほしかった。江文也のことを語る機会などそうそうはないのだろうからこそ、そのことが惜しまれる。これについてはまた後に触れたい。