トマトケチャップ をつくった

私の畑は、日当たりといい土といい、条件はとてもよいはずだ。けれどもなんせ腕がよくない。それで作物の育ちは、すべて自然の恵み次第だ。 今年は何もしないのに芽が出て育ったカボチャが3本あって、大きいカボチャが6個も獲れた。はてさて、どうやったら…

江文也 瀧澤乃ぶとの結婚   江文也その5

13歳の江文也は、兄と二人ではるばる廈門から上田にやってきた。上田駅に到着したのは1923年9月7日のことだ。その翌日、寄宿先の山崎あき宅あたりを散歩したようすを、江文也は日記に書き残している。山崎宅の位置は特定できないが、その後の生活から推し…

江文也少年をとりまく上田の音楽事情   江文也 その4

13歳の江文也少年は、兄と2人で遠い上田の地にやってきて、着なれぬ絣の筒袖の着物を着せられて、尋常小学校の生徒になった。小柄で大人しい子供であったが、学校に1台だけのピアノを弾くことを許されていたという。これは、同じ尋常小学校6年の女子組に…

珈琲時光、消された上田時代           江文也その3

台湾で『珈琲時光』という映画がつくられたのは、2004年のことだ。1980年代から台湾映画を引っ張ってきた侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督の作品だ。このなかでストーリーの伏線として江文也の名が出てきたために、日本では、長らく忘れられていた江文也が…

ビーツ を収穫

一見草だらけの私の畑でも、野菜は育っている。 今日はビーツを収穫した。私はビーツと香菜(シャンツァイ)を食べたいばかりに、畑仕事をしているのかも知れない。いちばん大きいビーツをひとつ収穫する。こうやって大きくなった順に1個ずつ取って食べるの…

江文也、上田での少年時代      江文也その2

1923年9月7日、江文也は兄と二人で上田駅に降り立った。江文也はこのとき13歳。ほぼ一月前の8月4日に母を亡くし、その3週間後には廈門の父の元を離れ、12日間の長旅の末に上田に到着したのだった。江兄弟は上田で、父の知人である山崎あき宅に身を寄せ…

江文也、太郎山に登る              江文也ーその1 

昨年の秋のはじめ、私は近所の友人と一緒に車で30分ほどの上田市にある太郎山に登った。彼女が本格的な登山の経験があると聞いて、太郎山に行こうと誘ったのは私だ。市民に愛されるこの小さい山には、もう半世紀も前、上田の高校にかよっていたころ級友と登…

ゲートルのこと

ぼくもいくさに征くのだけれど、という詩を書いて23歳の若さで戦死した竹内浩三。この詩にはこんな一節もある。 なんにもできず蝶をとったり 子供とあそんだりうっかりしていて戦死するかしら 1945年4月、彼はほんとうに出征先のフィリピンで死んでしまった…

ディアスポラ・その後 日本語教室で

土曜日の夜、町はずれの公園の一角にある文化センターへ行く。ボランティアによる日本語教室が開かれるのだ。私はボランティアスタッフとして日本語を教えるようになって、今年で3年目だ。 公園の駐車場で車を降りると、まわりの丘で花盛りのアカシアの甘や…

技能実習生 ヴンさん

ヴンさんは、1週間に1回ほど我が家にやってきて、日本語の勉強をする。元気よく自転車を飛ばしてきて、庭先でひらりと飛び降り、こんにちはと叫ぶ。ヴンさんはベトナムから日本にやってきて、1年半になるそうだ。仕事の合間をみて1日3時間勉強したそう…

台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』 と 八田與一

台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』を見に、隣町の映画館へ行ってきた。この映画は日本での評判がえらくいいと聞いていたが、ここでは観客はたった2人だった。内容は、1931年に台湾の嘉義農林学校(通称:嘉農、KANO)野球部が、まったく無名のチーム…

種まきの季節

信州にも遅い春がやってきた。 福寿草、クロッカス、水仙と春到来を告げる花が咲き出すと、その後は競うようにあちこちで色々な花が開く。と思うと木々も芽吹きはじめ、ほどなくあたりの山々も笑いだす、というわけだ。 そんなようすを見ながら、畑仕事を少…