相談できる人がいないなんて

私のひそかな楽しみは、無名の素晴らしいシンガーを見つけることだ。あちこちののど自慢みたいなプログラムを見ていて、この人いいなと思ったら、数年後あるいは数か月後にすごい歌手になっていたりすることがある。もちろん最初に聞いた時より数段うまくな…

カルテル・ランド

夏風邪とはいえ、私としては珍しく38度の熱が2日ほど続いた。普段の生活では考えないようなことも考えた。頭がふわっとする感じが残っているので、自分では病み上がりだなと思っている。 なのに、病み上がりの身としてはちょっとハードな映画、マシュー・ハ…

大暑だそうだけれど

昨日は大暑。暦の上ではいちばん暑い日なのだそうだ。 夏風邪からやっと回復し、さて日常生活を取り戻そうと気構えている。水曜日にはヨガに行った。病み上がりだがなんとかこなして、その日は気分よく熟睡した。その翌日は美容院にカットに行った。しばらく…

呆けと向き合う

自分の記憶力や体力の衰えに向き合うのは、つらいことだ。 つれあいのそれに向き合うのは、つらくもあるが悲しみが大きい。 今年は畑仕事にだいぶ力を入れた。意図したわけでもなく、偶然の重なりでそうなったのだ。歩いて10分ほどの鉄道の駅には野菜売り場…

夏風邪

夏風邪をひいてしまった。 咳がひどくなったのが1週間前。かかりつけの医者に行った。かかりつけと言っても私は割合健康らしく、1年に1回ぐらいしか病院に行くことなどない。だが今回は1か月ぶりだった。1か月前には髪を染めたところ、眠れないほど頭がかゆ…

祇園祭 終わる

祇園祭が終わった。 小さい神社から神輿が担ぎ出されて、町内を練り歩く。神社の急な石段を駆け下ったり、数か所で神輿を勢いよくまわしたり、と勇壮な見せ場もいくつかある。ささやかな祭りではあるが、夏の風物詩として味わい深い。 ところが今年は祭りの…

狸と闘う

今年初挑戦している大玉のトマトが色づいてきた。 八百屋で売っているのとの大きな違いは、無農薬無化学肥料で育てているのはもちろんだが、真赤に熟れてから収穫するところにある。そのおいしさといったら、たまらない。 そこで難しいのが採り時だ。朝夕見…

畑三昧

このところ畑三昧だ。 今年は様々な挑戦をしてみた。ビーツや香菜は昨年もうまくいったので、今年も順調にとりかかった。それ以外に手を出したものが、山ほどある。 まずクコ。この漢字が出てこないなんて腹が立つが、「木偏に句」と「木偏に己」だ。赤い実…

『片手の郵便配達』  ナチ時代末期の記録

グールドン・バウゼヴァング著『片手の郵便配達』を読んだ。 ナチス・ドイツのポーランド侵攻で始まった第二次大戦の末期、ロシア戦線で片手を失った17歳のヨハンは、故郷の村に戻って郵便配達人になった。 郵便配達人は、映画や小説でも取り上げられやすい…

台湾1949年 本屋設立計画

陳舜臣は神戸で生まれ育ったが、1945年に日本が敗戦したときに、その後の人生を考えるためもあり父母の実家のある台湾にいったん戻ったという。22歳であった。彼は3年制の大阪外語印度語科を出て大学に残る望みを持っていたが、国籍が日本ではなくなってし…

この日本に生きるということ

1975年、昭和天皇は日本記者クラブとの会見で、次のようなことを語ったという。 戦争責任問題について。 「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かね…

ビーツを播く

花粉症の季節が終わるのを、いまかいまかと待っていた。 この冬は、室内で足踏みふうのジョギングを毎日欠かさずにやった。だから早く戸外で腕だめしならぬ脚だめしをしてみたかった。もうひとつは、畑仕事だ。 裏の窓から見ていると、もう畑仕事が始まって…

屋根掃除 と 島崎藤村の言葉

春めいてきて、気になることが出てきた。 昨秋、樋がつまって雨水があふれ出したことがあり、屋根屋に来てもらった。湾曲している部分にたまっていた枯れ葉を取り除くと問題は一応解決した。だがそのときに 「一度屋根の掃除をした方がいいですよ」と言われ…

そのださん 2  女ともだちー3

そのださんにメールを書いた その後、お元気でいらっしゃいますか? 春の気配のなか、なぜかきゅうに そのださんのことを思い出しています 電話してみたのですが通じませんでした このメールが届くことを祈りつつ 実はもっとあわてていた 聞いてもらいたいこ…

まりこちゃん   女ともだちー2

近道して懐古園の三の門をぬけたらまりこちゃんに会ったこんにちは、の合図に腰のあたりで手をひらひらさせそのまま通り過ぎた まりこちゃんは観光ガイドの制服姿オレンジの野球帽に緑のベスト三の門を指さしながら、どこかのおじさんに説明している 通り過…

そのださん      女ともだちー1

80歳になりました と、そのださんからメールが来た 70代の最後の年だった去年、引っ越しました 人生の最後はひとりで暮らしたい そのださんらしいなあ 昔からずっと、いつも肩をいからせていた 歳をとるにしたがって、ありがとう、と言われなくなる ありがと…

行政の魑魅魍魎  日本語教室で

以前に「ディアスポラ、その後 日本語教室で」という記事を書いた。偶然読み返して、ああ日本語教室は私にとっても楽しいところだったなあ、と思い返した。私自身が台湾で生まれて引き揚げ者として日本へ来たし、母も台湾生まれで神戸・横浜育ちというよそ者…

『童年往時』 日のあたる縁側で 人知れず死んだ祖母

このところ、ホウシャオシエン監督の作品「童年往時」(1985年)を、しきりに思い出している。 この作品は、監督の生い立ちをたどったものだ。1945年の戦争終結後、父は教育関係の役人として広東省から台湾にやってくる。台湾に来て1年ほどたったころ、父は…

冬冬(トントン)の夏休み

台湾の侯孝賢(ホウシャオシエン)監督が、30年前につくった映画、『冬冬(トントン)の夏休み』を見る機会があった。なんでも日本であらたに上映されることになったそうで、1990年に公開されたときに私が入れた字幕を使いたいとの申し出にがあった。それで…

瀧澤乃ぶの女学校時代   江文也 番外篇

つい先頃、ネットで海外の新聞を読んでいるうちに「1915年のアメリカ」という新聞記事をみつけた。ざっと見ただけで驚くことばかりだった。たとえば、車のガソリンはドラッグストアで売っていた、という。そして車の制限速度は時速10マイル、つまり時速16キ…

北京と東京 二つの家族    江文也その7

1938年、江文也、妻の乃ぶ、3歳の長女・純子は一家で北京で暮らしはじめた。北京は江文也にとっては、よき仕事場であったようだ。北京師範大学教授の職があることで、経済的な安定が得られた。それになにより興味の尽きない伝統音楽の研究の場でもあった。…

江文也 北京師範大学教授になる    江文也その6

江文也は1936年6月、26歳のときはじめて中国に旅をした。そのころさまざまな助言を与えてくれていたロシアの作曲家アレクサンドル・チェレプニンに勧められてのことだったという。チェレプニンはこの前後4年間ぐらい、中国や日本などアジアを歴訪してアジ…

トマトケチャップ をつくった

私の畑は、日当たりといい土といい、条件はとてもよいはずだ。けれどもなんせ腕がよくない。それで作物の育ちは、すべて自然の恵み次第だ。 今年は何もしないのに芽が出て育ったカボチャが3本あって、大きいカボチャが6個も獲れた。はてさて、どうやったら…

江文也 瀧澤乃ぶとの結婚   江文也その5

13歳の江文也は、兄と二人ではるばる廈門から上田にやってきた。上田駅に到着したのは1923年9月7日のことだ。その翌日、寄宿先の山崎あき宅あたりを散歩したようすを、江文也は日記に書き残している。山崎宅の位置は特定できないが、その後の生活から推し…

江文也少年をとりまく上田の音楽事情   江文也 その4

13歳の江文也少年は、兄と2人で遠い上田の地にやってきて、着なれぬ絣の筒袖の着物を着せられて、尋常小学校の生徒になった。小柄で大人しい子供であったが、学校に1台だけのピアノを弾くことを許されていたという。これは、同じ尋常小学校6年の女子組に…

珈琲時光、消された上田時代           江文也その3

台湾で『珈琲時光』という映画がつくられたのは、2004年のことだ。1980年代から台湾映画を引っ張ってきた侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督の作品だ。このなかでストーリーの伏線として江文也の名が出てきたために、日本では、長らく忘れられていた江文也が…

ビーツ を収穫

一見草だらけの私の畑でも、野菜は育っている。 今日はビーツを収穫した。私はビーツと香菜(シャンツァイ)を食べたいばかりに、畑仕事をしているのかも知れない。いちばん大きいビーツをひとつ収穫する。こうやって大きくなった順に1個ずつ取って食べるの…

江文也、上田での少年時代      江文也その2

1923年9月7日、江文也は兄と二人で上田駅に降り立った。江文也はこのとき13歳。ほぼ一月前の8月4日に母を亡くし、その3週間後には廈門の父の元を離れ、12日間の長旅の末に上田に到着したのだった。江兄弟は上田で、父の知人である山崎あき宅に身を寄せ…

江文也、太郎山に登る              江文也ーその1 

昨年の秋のはじめ、私は近所の友人と一緒に車で30分ほどの上田市にある太郎山に登った。彼女が本格的な登山の経験があると聞いて、太郎山に行こうと誘ったのは私だ。市民に愛されるこの小さい山には、もう半世紀も前、上田の高校にかよっていたころ級友と登…

ゲートルのこと

ぼくもいくさに征くのだけれど、という詩を書いて23歳の若さで戦死した竹内浩三。この詩にはこんな一節もある。 なんにもできず蝶をとったり 子供とあそんだりうっかりしていて戦死するかしら 1945年4月、彼はほんとうに出征先のフィリピンで死んでしまった…