ビーツ収穫

ビーツが採り時になったようだ。試しにひとつ、あまり大きくないのを採ってきた。素焼きの釜に入れて、弱火にかける。こうすると表面があまり焦げずに、なかまで柔らかくなるのだ。

 

この素焼きの釜はとても便利だ。コメリという、関東甲信越地方数県に店舗を出しているホームセンターで買った。値段は忘れたがとても安かった気がする。もともとは確か、石焼き芋ができる釜だと広告していたのだが、私はこれでいろんなものを焼く。トウモロコシも、ジャガイモも、サトイモも、クリも。どれもとてもおいしくできる。

 

なぜコメリの名前など出したかと言えば、地方土地発祥の家庭用雑貨や農業用品を売る店は、なかなかいいと思うからだ。台所生ごみ処理用のバケツも、私はとても重宝している。二重底になっていて水分は下に落ちる構造になっているが、台所のごみをこのバケツに入れてボカシという籾でつくった発酵促進剤のようなものをばらまく。バケツがいっぱいになれば庭のコンポストに移す。これだけで生ごみは立派な堆肥に変わる。悪臭に悩まされたことなど一度もない。これなども地方都市や農村部の暮らしを知っていればこそ生み出せた素晴らしい商品だと思う。

 

で、ビーツを焼いたら、温かいうちでも冷めてからでもいいのだが、皮をむく。するすると手でもむける。指先がきれいな赤に染まる。適当に刻んで、生クリームでもよし、ヨーグルトでもよし、上にかけて食べる。色が美しい。ほんのりとした甘みもいい。塩コショウやピーヤシなど、簡単な調味料をかけるだけでも充分おいしい。

 

というのもたぶん、私がビーツが好きだからだ。わが連れ合いは、勧めても、私が食べていても、あまり食べようとはしない。まあ彼は、食いしん坊の反面で、食べ物に関しては保守的だ。しかも年々新しいものを受けつけなくなっている。今年私がどっさり作った桑の実ジャムも、毎朝目の前で私が食べているのを見ていても、手を出そうとさえしない。そればかりか私がおいしいオリーブオイルやココナッツオイルを手に入れて、それらをトーストに塗っておいしく食べていても見向きもしない。自分のパンには十年一日のごとく「キリ」というクリームチーズをのせて食べている。よく飽きないものだ。たいしておいしくもないのに。だが私は内心、あれほど同じことばかり繰り返す生活態度は、認知症とつながっているのではと疑っている。

 

またビーツに話を戻そう。次に採ってきたらこんどはスープをつくるつもりだ。これもまたおいしい。ビーツはほかの野菜とも相性がいいから、いろんな野菜と組み合わせてみよう。今日はしとしと雨が降っているから、いっそのことからりとした暑い日に、アツアツの真赤なスープを味わうことにしよう。

病の役得

夏風邪で珍しく38度もの熱を出して寝込んだ。何とか回復して8日ぶりにジョギングしたりしたのに、その日にこんどは昼食も夕食も食べてすぐに吐いてしまった。痛みも苦しみもないのに、食べ物を受け付けない。なんだろう、これはいったい、と不安にかられた。そしてこんどこそはと用心して、お粥から始めて3日がかりで普通食に戻した。そして今日、5日ぶりに朝の運動に行く。今度こそ無理はしないようにと思っていたのに、20分ほど普通の速度で歩くだけのつもりだったのに、つい40分歩いてしまった。これでどうやら日常生活に復帰、というところか。

 

で、こうなって不安から解放されたからこそ言えることなのだろうが、病の役得というのはある。ここ数日は、読書に明け暮れた。眠れるだけ寝て体を休めるのだと公言したから、もうこっちのものだ。ベッドに本を持ち込んで、読んでは眠り読んでは眠りを繰り返す。しかも今回読んだ本は面白かった。フィリップ・ロスの「父の遺産」だ。

 

周囲には小説家も含めて文筆に携わる人が少なくない。私もノンフィクションを書いてきた。だから読書といっても、その本によって、あるいは自分の現在の関心事によって、さまざまな読み方をする。だが今回ばかりは、文筆などを業とするよりずっと以前から身に覚えのある、読書の楽しみに浸りきった感じがした。これこそ、病によって普段の生活をあきらめたから得られた境地かもしれない。

 

思えばただ面白さだけを基準に読み散らした本のなかに、何冊ものフィリップ・ロスがあった。たぶん「さよならコロンバス」を読んだらとても面白いので、その後も目につくたびに読んだのではないか。「乳房になった男」「ポートノイの不満」などをよく覚えている。

 

そして今回「父の遺産」を読んでみて、ほう、これも同じフィリップ・ロスなのかと、にわかに過去に読んだものを読み返してみたくなった。著者の実体験に近いように思われるこの話を読んだら、それに比べると非現実的な話である「乳房になった男」「ポートノイの不満」などが、切実味を帯びてせまってきたのだ。

 

ところがいまの私はと言えば、食べ物を受けつけないから外出などとても無理、というていたらくだ。それなのにふらつく足で脚立にまでのぼって、本棚の奥の方を探ってみた。よく使う本が採りやすい位置にあって、若いときなじんだ小説などはあったとしても片隅に追いやられている。しかもあればまだいい。時折何かをきっかけに自分の死に備えて持ち物を減らそう、などという考えに駆られて本を処分しているから、そんなときに手放してしまったものも多い。

 

フィリップ・ロスの作品も、みつからなかった。表紙の手触りや小さな汚れまで思い出せるほど読んだ本なのに、何を思って手放したのかは思い出せない。だが思わぬことに、自分が所蔵していることさえ忘れていた「ゴーストライター」が出てきた。手についた埃を洗い流す間さえ惜しいほどわくわくして、読み始めた。正直なところ、あ、この本読んだなと思ったのは、1冊の中に4か所ぐらいしかなかった。それにしては栞が擦り切れている。いったい、私はこの本を読んだのだろうか。

 

作中人物のなかの誰それに、フィリップ・ロスの生身が感じ取れる。そのせいだろうが、奇想天外なことが起きてもどれもこれも受け入れられる。うん、こういうことってあるよね、という感じだ。子供のころみたいに時を忘れて読みふけった。

 

「父の遺産」があんなに面白かったのには、またべつの理由がありそうだ。私は病に伏した状態で読んでいたとはいえ、まだまだ自分の死に関しては切実感はない。だから作中の死んでいく父と、その世話をする息子との中間ぐらいの立場で読める。

 

この本の中で息子は、ちょっとよい息子すぎるが、だからこそたぶん読後感も悪くはないのだ。父もまた頑固一徹に自分を通して、勤勉そのものの人生を送った。その意味では、やはりちょっとよすぎる父親だ。露悪的なところがなくもないロスも、こんなふうに書くのかと、心がなごむ。

 

その父は、妻を亡くしてから妙にケチになっていく。洗濯もまとめてランドリーですればいいものを、自分で手で洗って風呂場に干したり、掃除も人に頼むのをやめて自分でやるようになり、あちこち行き届かなくなる。その父に86歳で脳腫瘍がみつかる。手術は拒否したい。だが本音ではもっともっと生きたい。どたばたとして死んでいく父を、見すえて悲しみも安堵もあきらめも何もかもの感情を書いている。だからこそフィリップ・ロスの他の作品を読み直してみようと思ったのだろう。

 

私の町の図書館は、その点はだめだが、隣町の図書館ならかなりのものがそろっている。予約を入れたから、外出できるようになったら車で取りに行ってこよう。ついでにあの閑散とした美しい駅前通りにある、和菓子も洋菓子もとてもおいしい菓子屋に寄って、お茶とケーキを味わってこよう。

 

フィリップ・ロスは、いま「父の遺産」のなかの父親ぐらいの年齢になっているはずだ。いま、どこでどうしているのだろう。彼の数人の元妻のなかのひとりが、性的な節操のなさが耐え難かったと言っているのを、どこかで読んだことがある。実物もかなりハチャメチャな面白い男なのだろうなあ。そして一面では、たぶんゴースト・ライターの中に出てくる巨匠のように、毎日ひたすらタイプライターの前に座って、文章直しをしたりしてもいるのだろうな。こんなふうに、作中人物も実人物もごちゃまぜに空想を膨らませていけるのが、楽しみだけのための読書の醍醐味だ。

笑うしかないよね、頑張ろうね

朝のジョギングの途中、いつも神社をきれいに掃除して札所を守っている牧山夫人と立ち話した。この神社と深いかかわりがある由緒ある家の奥様なのだが、自宅はべつのところにあって、ここではもっぱら草木の手入れや札所の仕事のようだ。私はたいてい朝の散歩やジョギングで通りかかるので、草花の育て方を教わったり、苗をいただいたりしている。だがこの日ばかりは、別の話題で盛り上がった。

 

牧山夫人の話はこんなふうだ。

「買い物ぐらいできるようになった方がいいと思って、スーパーへ行くときヒロさんを連れていくんですよ。そうするとすぐに買い物には飽きちゃって勝手にいなくなるの。だから、買い物終えてから携帯電話で呼び出すんです。もう帰るわよって。食料品のことも、まして料理なんかも、何か覚えようなんて、本人はまったく思わないみたい」

 

「あの人たち、なんでも自分が正しいと思ってるんじゃないかしら。うちはそれでも、食後の洗い物は全部やってくれるの。だけど、杓子やヘラなんかと一緒に置いてある泡だて器が、いつも引き出しに移されている。使おうとするとないから、あ、まただと思って、引き出しから出す。毎回なのよね。あの丸い形が邪魔だという理由で引き出しにしまっちゃうらしいけど、なぜいつも使っている私の意見を聞かずに勝手に動かすのかしらね」

 

「あの人たち」などと呼ばれている話題の主は、言わずと知れたそれぞれの夫である。私は夏風邪のせいで珍しく熱を出して寝込み、8日ぶりのジョギングだった。一方牧山夫人は、しばらく前に血液検査で全身の癌を発見してくれるという病院に夫婦で行き結果を聞いたところ、「お宅は奥さんが先になくなるでしょう」と言われたとのこと。それで双方、夫の家事能力のなさがハタと心配になった、という事情があった。

 

出てくる話題は実際、笑うしかない、お手上げ状態の話ばかりだ。妻が熱を出して寝ているのに、夫はいつもと変わらず夕飯が出てくるのをただじっと待っていた。夕飯を食卓に載せて、ちょっと流し周りを片付けて席に着くと、夫はもう食べ終えていた。いったいなんだ、あの人たちは。5歳やそこらの子供でもあるまいし、、、と。

 

夫が死ぬと、寂しさもあるらしいけれど、凄くせいせいするそうよ。両方とも味わってみたいわね。とにかく元気で長生きするよう、頑張ろうね。そう言って私たちは別れたのだが。はてさて、当の夫たちはどんなことを話しているのだろう。同じような話題は出ているのかしら。

相談できる人がいないなんて

私のひそかな楽しみは、無名の素晴らしいシンガーを見つけることだ。あちこちののど自慢みたいなプログラムを見ていて、この人いいなと思ったら、数年後あるいは数か月後にすごい歌手になっていたりすることがある。もちろん最初に聞いた時より数段うまくなっている。

 

最近アメリカのEdgarという家族3人のコーラスグループを聞いて、すごいと思った。32歳の女性が、夫と15歳の娘と一緒に歌いはじめたのだ。だが彼女には歌について苦い思い出があった。彼女は10代から教会で歌い始め、歌のうまさが認められて17歳の時にレコードを出すことになりコンサートツアーにも出かけた。ところがそのころ妊娠した。するとレコード契約は破棄され、その後は教会で歌うことも許されなくなった。そのとき生まれた娘がいまでは15歳になり、その後結婚した夫と3人で歌い始めたというわけだ。夫は結婚した時にすぐに彼女の娘を自分の養女にした、二重の喜びだった、という。夫のギターとボーカルに2人の女性のボーカル、それぞれの味がうまく生かされてほんとうに美しい濃やかなハーモニーを醸し出す。

 

そのコーラスを楽しんでいたころに、たまたまネットのニュースで悲しい話を読んだ。日本で16歳の女の子と17歳の男の子が、生まれた子供を袋に入れて公園に埋め、逮捕されたというのだ。出産は男の子の家で2人だけで行い、すぐに2人で埋めてしまったという。

 

男の子は出産にまで、そして子殺しにまでもつきあったのだ。それならば妊娠発覚からこの事件を起こすまでのあいだに、2人で何とか知恵を絞ることはできなかったのだろうか。誰か相談する人はいなかったのだろうか。あまりにも寂しい話だ。

 

誰かがちょっと手助けをして、出産育児の大変な時期を乗り越えれば、その先にどんなことが待っているかはわからないのに。辛さもあろうが楽しみだって絶対あるはずなのに。日本はとかく、自業自得とか自己責任とか言って、過ちを犯した人を執拗に責める。周囲が一斉にそんな雰囲気に変わっていくという経験は、私自身も何回かしている。誰だって過ちは犯すだろう。そこから立ち直ることこそが大切で、そのために手を貸そうなどという考えが、この社会にはあまりにも乏しい。

カルテル・ランド

夏風邪とはいえ、私としては珍しく38度の熱が2日ほど続いた。普段の生活では考えないようなことも考えた。頭がふわっとする感じが残っているので、自分では病み上がりだなと思っている。

 

なのに、病み上がりの身としてはちょっとハードな映画、マシュー・ハイネマン監督の「カルテル・ランド」を見てきた。メキシコの恐ろしい麻薬戦争のドキュメンタリーだ。

 

メキシコのミチョアカン州で、麻薬カルテルによる市民を巻き込む凶悪犯罪に業を煮やした町医者ミレレスが、自警団を組織する。自警団は武器を調達し、市民の支持を得て、自警団を非合法組織として取り締まりに来た軍や警察を追い返すまでになる。

 

一方でこの映画は、メキシコから持ち込まれる麻薬や不法移民を阻止するためのアメリカ側の自警団も追っている。アリゾナ州アルター・バレーで、退役軍人ネイラーが率いるアリゾナ国境自警団だ。

 

自警団に集まるのは普通の市民なのだが、両方とも銃を手にバンバン撃ち合って戦う。両方のリーダーの主張も共通している。二人とも、自分がやっているのは正義だ、家族や市民は自分たちで守らなければならないとの堅い信念を持っている。

 

だがことはそれだけではすまない。自警団に権威ができ始めると、それをかさに着てちょっとした悪事を働くものが出てくる。市民の共感が薄れ、やがてミレレスを置き去りにしたまま、自警団は合法組織化されて軍や警察の傘下に入ってしまう。ミレレスは武器所持か何か小さい罪で収監されてしまっている、が結末だった。

 

ああ、どこに出口はあるのだろう。ミレレスの女好きなところ、その点に関しては妻も手を焼いていた、などというのは、結末から見れば、それくらいのこと何なのさ、というくらいのささやかないろどりといったところだ。

 

 

大暑だそうだけれど

昨日は大暑。暦の上ではいちばん暑い日なのだそうだ。

夏風邪からやっと回復し、さて日常生活を取り戻そうと気構えている。水曜日にはヨガに行った。病み上がりだがなんとかこなして、その日は気分よく熟睡した。その翌日は美容院にカットに行った。しばらく前から気になっていたから、晴れ晴れした気分になった。帰宅してから髪を染めた。

 

そしてその次の日の昨日。長野市まで映画を見に行く予定であった。「マイケルムーアの世界侵略のすすめ」が最終日なのだ。乗る電車の時間なども全部調べて準備していた。雨傘を持った方がよさそうだから、それに合わせてバッグもちょっとだけ大きめのにした。ここに住み始めてから、長野市程度の都会が私の好みに合う感じがして、たいていは映画のついでだが、長野に出かけるのを楽しみにしている。

 

ところが、諸事情で私としては珍しく映画は取りやめにした。無茶はするな、と体が言ったのだ。来週も見たい映画があるから、まあ今日のところはやめておくか、残念だが。そう思ったらとたんに眠くなって午前中に昼寝を30分してしまった。

 

昼食後、隣町の図書館へでかけた。隣町はわが町より人口も少なく、駅前商店街も本当に静かなものだが、私はこの街が好きだ。図書館ではフィリップ・ロスパトリック・モディアノを借りた。この2人は、今の私の好みに合っている。風邪をひいていた間も、彼らのおかげで布団の中にとどまることができた。あとは、自分でも意外だが宮沢賢治中島敦図書館というのは、本を眺めているうちに思わぬ感覚を呼び覚まされるのがいい。この2人の名前を目にしたとき、自分が読み残したものがある、という意識が働いたのだ。宮沢賢治を嫌いだと公言してきたが、好きなところをみつけてみようか、とも思った。

 

そして、ひっそり閑とした商店街に足を延ばす。歩いてみると、ちょっと足元が心もとない。やはり夏風邪の影響が残っている。そしてひと気のない通りの、ひと気のない小間物店に立ち寄る。迷惑は承知でたまにおしゃべりに立ち寄るのだ。

 

きょう盛り上がった話は、スイスのベーシックインカムの話。この店を切り盛りしている直美さんは、ベーシックインカムのことは知らなかったが、へえそれで?へえそれはなぜ?次々畳みかけてくるので、ここに来ると思わぬ話が飛び出すのだ。ごくふつうの店。でも大きいショウウィンドウに、あまり目立たない商品を背景に「9条をこわすな」のポスター。そして店の片隅にはパレスチナ支援の石鹸やオリーブオイルもある。

 

お喋りしている間にも、いくら静かな店でも数人の客は現れる。なんといっても、ここは駅前商店街なのだから。私は夏風邪の名残の咳がまだ取れないし、直美さんは嫌な顔一つしないけれど、しかしやはり余りの長居は迷惑だろうと適当に席を立ち帰ってきた。

 

大暑、と言っていたけれど、今日は寒いくらいだった。

夕飯をすませて早めに風呂に入ったが、多めの湯を張って体を沈めた。長湯して体を温めよう、とほんとうに思ったのだ。ここでは、そんな大暑の日であった。

呆けと向き合う

自分の記憶力や体力の衰えに向き合うのは、つらいことだ。

つれあいのそれに向き合うのは、つらくもあるが悲しみが大きい。

 

今年は畑仕事にだいぶ力を入れた。意図したわけでもなく、偶然の重なりでそうなったのだ。歩いて10分ほどの鉄道の駅には野菜売り場がある。毎朝獲れたての野菜が持ち寄られて、旬の野菜が山をなす。新鮮でしかも安い。散歩がてら立ち寄っては何かを買ってくる。

 

あるとき、モチキビを買った。小さい袋入りで400円か500円だった。炊くために計ってみたらちょうど4合だったから、この野菜売り場では高い商品ということになる。近頃の雑穀の人気、でありながらそれほど売れるものでもなく、商品にするまでにかかる手間を考えれば合理的な値段ではあるが。

 

モチキビを米に混ぜて炊く人は多いようだが、私はこれだけを炊いてみた。とてもおいしかった。米がそれほど好きではなく、なくても不便ではないぐらいの常食者である私は、キビの方が私の好みにはあっているかもしれない、と思った。米を作るのはムリだが、キビなら作れるのではないか、とも思った。

 

それで、キビとアワの種を買った。蒔くには新たに土を耕さなければならず手を捏ねていたところ、ちょうどその時期に娘が現れた。物珍しさも手伝ったのだろう、キビとアワ蒔こうとしていた場所を、あっという間に耕してくれた。それで今年は粟畑と黍畑が増えた。とこんなふうにして、昨年よりは作物が増えた。昨年ミニトマトのなりがとてもよかったものだから、今年は大玉のトマトにも挑戦してミニトマトと大玉トマトをそれぞれ2本苗を植えた。

 

素人仕事のわが畑も、ありがたいことに時期が来れば野菜ができる。毎日見回りに行き、キウリ、ナス、インゲン、ケール、トマトなどは少々ではあれ必ず収穫がある。獲りたてはおいしい。これはわが畑から、と必ず注釈をつけて、夕飯の食卓で楽しむ。

 

このところ夏風邪で寝込んだものだから、2日だけつれあいに畑の見回りを頼んだ。キウリやトマトを収穫してきてくれた。大きいのを見落としてはいないか、トマトの周りは狸が入らないようにしている柵を、抜いたり倒したりしていないか。いろいろ心配は尽きないが、まあ自分では行かれないのだから仕方がない。

 

ところが、である。私が何とか畑に行かれるようになったら、わがつれあいは、でかけるたびに駅の野菜売り場で何かを買ってくるようになった。私が作っていないものならいい。作っているトマトやキウリなどを買ってくるのだ。なぜなのだろう。おいしそうな野菜を目にすると、瞬間的に私の畑のことなど忘れて手が出てしまうのだろうか。彼の食欲はわかる。買い物の楽しみもわかる。それと私の畑の関連が切れてしまっているのだろう。文句は言いたくない。ひたすら悲しい。